2011-05
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128 2011年12月19日(月) 近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』と名誉の負傷    

  12月も半ば過ぎとなり、どこでも恒例の大掃除の季節となりました。
 私の家は大して大きくもない一軒家ですが、50年前に亡くなった祖母やまだ元気な母が掃除好きと言う家系のせいもあって、年末大掃除は、比較的熱心にやります。
 各部屋の整理整頓、照明器具・天井や壁も含めた室内の拭き掃除はもちろん、窓ガラス磨き・アルミサッシ・外壁・外回りの掃除と、毎年、1日5〜6時間×4日間、のべ20時間以上の大作業となります。
 今年はまだその作業の途中ですが、それに関して二つの話題をお話しします。

 一つは、今年のベストセラー、
近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』の本のこと、そしてもう一つは、先週、掃除中に不覚にも負ってしまった名誉の負傷についてです。前半は「書評」ですが、後半は単なるエピソードです。(^_^)


 写真−01・02 大掃除 (撮影日 11/12/19)

 左:こだわりの大掃除グッズ。上左から、窓ふき用洗剤、アルミサッシ溝掃除用板、窓ふき用タオル、窓ふき仕上げ用タオル、汚いところ用雑巾、普通の汚れ用雑巾。
 右:脚立に乗って窓ふき。
 


 まずは、片づけです。
 大掃除と片づけとは本来は別のものであり、一緒に取り組んではいけないと言う意見もありますが、普通の人間のレベルでは、片づけをした上で大掃除、または同時一緒にというのが、ごく自然な発想です。
 
近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』(サンマーク出版 2011年)は、本年1月に発売されて以来、12月段階で100万部突破という今年の大ベストセラーとなっています。
 今年の大掃除の前に、大人気のこの本を読んで、参考にしようと思いました。

 これまで片づけ・整理整頓の本は数々出版されましたが、私は自分が片づけはできる方だと思っていましたので、あえてそういう類の本を買って読むことはしませんでした。今回は、この本があまりにも売れている本であること、そしてTV等でも取り上げられてタレントが「魔法」に挑戦している番組まで放映されていること、そして、もう一つのねらいがあって、この本を読んでみました。
 もう一つのねらいというのは、この本によって片づけが苦手な妻に、何か有効なアドバイスはできないか、彼女を覚醒させるような目から鱗の話はないかという淡い希望があったからです。
 我が家は、私が片づけ・整理整頓好きであるのとは対照的に、妻はそういうことにあまり無頓着なおおらかな性格で、結婚以来20数年、迷コンビを続けてきました。本人の流儀ですから他人がとやかく言うなという言い分もありますが、整理・整頓がされていないと決定的にまずいことがあります。部屋が乱雑な状態であることはもちろんとして、時々、モノ探しに莫大な時間がかかり、いらいらのストレスの上昇とそのために失う時間が半端でないことが起こります。その分生産的な活動が失われていきます。これはできるだけ避けたいものです。
 3人の子どもも両親の性格をまちまちに引き継いで、我が家は
整理整頓派2人おおらか派3人となっています。ここらで積年の恨み?をはらすべく、敵の本丸を揺るがして整理整頓派が主導権の奪回をねらうという野望です。(なんのこっちゃ)

 さて、
近藤麻理恵さんですが、意外なことにまだ20代半ばのかわいいお嬢さんで、職業はなんと片づけコンサルタントです。そんな職業が存在しえるのも不思議な気がします。普通この手の本を書くのは、人生経験をずいぶん経た中年以上の男女と相場が決まっていましたので、まずは筆者の若さに驚きました。
 若い彼女があまり人生経験がないその年齢でコンサルタントができる理由は何か?
 それは、彼女が物心ついた幼稚園年長組のころから母親の主婦雑誌を愛読して、掃除・片づけ・料理・裁縫等をこよなく愛した少女だったからです。なかなかの強者です。小学校時代には、例えば教室の掃除道具置き場を密かに整理整頓するなど、つねに片づけ・整理整頓を心がけていたそうです。
 
 その彼女の『
人生がときめく片づけの魔法』、しかも「片づけ後のリバウンド率」ゼロと言う秘訣は何か。
 突き詰めていけば、本の帯に書いてある、「
@片づけで大事なことは「何を捨てるか」ではなく、A「どんなモノに囲まれて生きたいか」です。Bときめくもモノだけを残すと必ず幸せになれます。」に集約できます。(@・A・Bは引用者が挿入)
 さらに数点付け加えれば、
 
C捨てる基準は、そのものを持っていて「心がときめく」かどうか(同書 P63)
 
D「あらゆるモノの定位置を決める」(同書 P172)
 
E「積んではダメ、基本は「立てて収納」する」(同書 P190)
の3点でしょうか。

 自分なりの解釈を含めて各点について補足をします。
 まず、
@の「片づけで大事なことは「何を捨てるか」ではなく」については、近藤さんは、別に「まずは『捨てる』を終わらせる」(同書 P52)と表現しています。
 これは、決して片づけの前に捨てると言うことをすることを否定しているのではありません。ガラクタであふれている部屋を片づけるには
「捨てること」は必須です。
 彼女が言いたいのは、ただ何となく捨てるとか、収納に合わせて捨てるとか、そういう中途半端な捨て方ではなく、
Aの「どんなモノに囲まれていきたいか」と言うイメージを大切にして、一つ一つのモノを、Bの「ときめくもモノだけを残すと必ず幸せになれます。」を信じて、Cのそのものを持っていて「心がときめく」かどうかを基準に、ばっさりと確信を持って捨ててしまえということです。
 これが彼女の片づけ術の基本です。ときめくモノだけに囲まれて生きていれば、きっと幸せになれるという彼女の人生哲学の核心部分がここにあります。
 これは、プライベートな生活では大事なことです。
 「ひょっとしたら何かに使えるかもしれない」という幻想にとりつかれて、
実際には再利用率が限りなくゼロに近いモノが、身の回りにどれほどあるでしょうか。我妻よ、よく聞きなさい。
 さらに、「
何となくという」それだけの理由で何年も鎮座しているモノが家の中にどれほどあるでしょうか。それらを確信を持って捨てることから、すべては始まると言うわけです。
 そして、「残った」のではなく、
自分の人生をときめかせるために確信を持って残したモノは、D「あらゆるモノの定位置を決め」て管理し、それを絶対に崩さないことが必要です。また、彼女は、服の片づけ方などいろいろ細かなアドバイスをしていますが、そこに共通して存在している精神は、E「積んではダメ、基本は「立てて収納」する」に代表されます。つまり、片づける時は、後から発見されやすく(利用されやすく)片づけることが前提条件となります。せっかくときめくモノばかり残したのですから、未来の自分のために、そのモノが後から再利用される状況をセットしておくことが必要です。

 大変、見事な発想、片付けの技法、そして人生哲学です。

 ただし、この本に描かれる片づけ手のシチュエーションは、あくまで独身女性・主婦と言った想定で書かれており、例えば私のように、資料となる本に囲まれて創作的な知的活動をしていると言う人間の場合は、そのものずばりが当てはまると言うことはないかもしれません。
 また、彼女はシンプルこそ理想の片づけの前提条件とも考えていますので、例えば、押し入れ中に段ボールに入れて片づけたらもうそれでお仕舞い、そのものは永遠に日の目を見ない、と言う注意もしています。しかし、いくらすてても、家族の人数が増え情報量やモノが絶対的に増えれば増えるほど、手持ちの空間の重層的な利用が必要となってきますので、逆にシンプルはなかなか非現実的となってきます。
 私の場合は、段ボール箱に、その中に何が入っているかを書いた見出しの紙を貼っておくことで、死蔵を防いでいます。別のところでも紹介したように(→目から鱗:「38 人生に重大な影響?を与えたものU父編1「知的生産」」)、紙文書も、インデックスをつければ死蔵は少なくなりますが、インデックスがないとほぼ「化石」化します。

 「
片づけとは「モノを通して自分と対話する作業」」(同書 P82)というのは名言です。片づけをしながら自分の人生を考え直してみるのもいいものです。妻に是非挑戦させたいものです。


「さあ、思い切って片づけよう。将来持っていてもときめかないモノは何かな、捨てよう、捨てよう。どんどん捨てよう。」

  「・・・・・・・・・・・・・・・」(無言でじっと私を見つめる。) 
  (-_-;)「わ、わかった、あまりときめかなくても、残しておいていいものもあるから。」 

 主導権回復は失敗に終わりそうです。


 写真−03 大掃除中の私です。何か変なことに気がつかれますか? (撮影日 11/12/19)


 もう一つの話題は、大掃除中の名誉の負傷です。
 上の写真をご覧ください。何か違和感がありませんか?


 写真−04・05 ヘルメットをかぶっての大掃除。3男の中学校時代の自転車通学ヘルメット (撮影日 11/12/19)

 ところで、こうなると、また悩ましくなります。いえ、前段の片づけの話です。
 今、21歳で、中学校を卒業してから6年もたつのに、その3男のまだ中学校時代の自転車通学ヘルメットが保存してあったと言うことです。これはときめきを待っていたのでしょうか、それとも単なる偶然でしょうか。
 また、右の写真のヘルメットが載せてある踏み台は、現在の大掃除の時だけに活躍するモノですが、なんと、私の中学校1年生の時の技術家庭科の木工工作の作品です。昭和42年作製の44年前の遺物です。これも現在ときめいていますが、こういうのを残すか残さないかが、人生最大の悩みです。


 何故大掃除にヘルメットを着用するのでしょうか?
 事件は、12月12日に起きました。
 片づけの一つとして布団を物干し場に干そうとした私は、部屋が片づけ途中の通常よりもモノが多い状態だったのが災いして、通常の動線とは異なる動きをしてしまいました。布団を持ったまま窓から物干し場に出ようとしてバランスを崩し、体を伸ばした瞬間に、アルミサッシの窓枠の上部に頭頂部を激突させてしまったのです。
 数秒後、頭頂部からポタポタと血が流れ落ち、布団のシーツも点々と赤くなります。 


 写真−06・07 左:窓から物干し台への出入り口。右:このサッシが凶器に。 (撮影日 11/12/19)

 医者から戻ってきて、冷静に観察しました。頭の皮膚をそいだアルミサッシの窓枠の部分はどうなっているのかと。
 血も何も全く付着していませんでした。
 何でそんな観察をしたのかというと、常日頃から、TVの刑事ドラマ等に疑問をもっていたからです。たとえば、殺人犯が凶器を持って頭に一撃を浴びせて被害者を殺害するというシーンがありますが、その時、ドラマの進行上、必ず凶器にはべっとり被害者の血が付いています。
 現実はそうではないと思います。血はケガが発生した後、少し遅れて吹き出てきます。腹部を刺したナイフとかなら別ですが、頭部を一瞬打撃をしただけで、凶器に血がべっとりというのは、たぶんドラマの中だけの話だと思います。


 さすがにやばいと思ったので、出血が落ち着いてから、頭を押さえながら、近くのホームドクターのところへ行きました、この先生は、もともと脳神経外科の専門ですから、頭の外傷もOKです。
「Mさん、これは、自分では見えないかもしれませんが、激突したアルミサッシと頭の角度が不運だったのか、親指の先ぐらいの皮膚が、ベロンとめくれています。四方のうち、一方だけがくっついているだけです。深さはそれほど深くはありませんが、重傷です。化膿でもしたら大変です。直っても傷口は残ります。」

 と言うことで、恥ずかしながら次の写真−08のような大きな絆創膏を頭に載せて過ごすことになりました。
 また、傷口の写真が次の写真−09です。
 そして、再発防止と、傷口保護のため、大掃除中は自転車通学ヘルメットをかぶるはめになったのです。
  「今度やったら、骨や頭の中味まで壊れますからね。」 


 写真−08・09 左:頭頂部に大きな絆創膏。右:負傷翌日の傷の状況 (撮影日 11/12/19)


「毛がない頭にケガはある」という、親父ギャグの世界になってしまいました。大掃除の際は、ケガにご用心。 


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