2007-02
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100 2007年5月05日(日) 新しい学校 新しい生活     

 新しい学校で新しい生活がはじまって1ヶ月が過ぎました。

 4月という月は、どの先生にとってもすさまじく忙しいものです。とりわけ転勤したばかり方々には、ゆとりも何も全くなく、それこそ必死に走っているうちに過ぎていってしまうものです。
 私にとっても、この4月は、周りの自然のうつろいを楽しむことも、TVを見ることも、家族とゆっくり話すことも全くないほど忙しい1ヶ月でした。
 しかし気が付いてみると、もう5月です。
 寒い日も幾日かあった1ヶ月でしたが、今ではもうすっかり暖かくなりました。私が通勤している岐阜市西部郊外のフィールドも、いつの間にか春から初夏へ向かう装いとなりました。



レンゲ畑

 岐阜市寺田のレンゲ畑。
 はるか向こうのとんがった山は、岐阜県と滋賀県の県境の山、伊吹山です。

【撮影日 07/04/27】


麦畑
 同じく岐阜市寺田の麦畑。少し前まではまだ緑の葉だけでしたが、今ではすっかり穂が出ました。
 「麦秋」ももうすぐです。
 
 背景の山は金華山、頂の白い建物は岐阜城です。

 【撮影日 07/04/28】


 新しい職場、新しい学校での1ヶ月の間に、私にも少しずつですが変化が生じています。幸いなことに好ましい方向への変化です。環境の変化に感謝です。

 学校にいると、役所にいるのとは違って、
圧倒的に人と話す機会が増えます。
 たくさんの生徒や先生方と「おはよう」「こんにちは」「さようなら」と交わした挨拶の言葉だけでも、3月と4月とを比べるとこの1ヶ月は何十倍にもなります。


 おかげで、
心が挨拶モードになりました。

店員

「いらっしゃいませ。」

「・・・・・」

店員

「ありがとうございます。おにぎりが1点、・・・・・・お会計は、○○円になります。」

「・・・・・」

店員

「ありがとうございました。またお越しください。」

「・・・・」

 これが通勤途上に毎朝立ち寄るコンビニでの、3月までの会話でした。
 いや、会話ではありません。私は何も話していません。中年の無口の普通のおじさんにありがちな、まったく仏頂面のいかすかないおっさんそのものでした。
 
 今は違います。

店員

「いらっしゃいませ。」

「おはよう。これだけください。」

店員

「ありがとうございます。おにぎりが1点、・・・・・・お会計は、450円になります。」

「はい、450円ちょうど。」

店員

「450円ちょうどお預かりします。」

「レシートは入りません。」

店員

「はい、ありがとうございました。またお越しください。」

「ありがとう。」

 当たり前の会話ですが、普通のおじさんとしては、ずいぶん多弁になりました。
 学校で生徒や先生方と会うぞと思うと、もう通勤途上から心が自然と
挨拶モード(コミュニケーション・モード)になっている自分です。
 おかげで、コンビニのおねえさんおばさんとも仲良くなりました。(^_^) 


 3月下旬に転勤が決まってから、多くの方から云われました。
給食で太る。
 
 私の勤務する高校は、昼間・夜間3部制の定時制高校ですから、夕方の給食があります。その給食が本格的なもので、おいしくてつい食べ過ぎてしまうというわけです。
 当然ながら高校生用の給食ですから、栄養・カロリーはたっぷりです。 


【食堂】 
 私の勤務校の食堂。
 右手で食器とトレイを取って、奥のカウンターの所で、ご飯と汁物(またはスープ)を自分でよそります。
 



【メニュー】
 5月1日のメニューは筍ご飯に、鰆の照り焼き、ひじきとほうれんそう・こんにゃくの白和え、椎茸・しめじ・えのき・みつば入りすまし汁、イチゴ、牛乳、そして、こどもの日の前ですから柏餅でした。

 これで1食340円です。
 大きなどんぶりには山盛りもOKです。

 ご飯と汁物の量は自分で調節できますが、おいしいものを目の前にして、量を控えることは至難の業です。

 4月9日から給食がはじまって、4月は、16日間給食を食べました。
 午後に外部で会議等の出張がある場合、4時過ぎに終われば普通はそのまま自宅に直帰ということになります。しかし、私の勤務する学校では、違います。給食の時間は、4時50分から5時35分までです。会議が終わったら、給食に間に合うように急いで帰るというのが「常識」です。
 大変好ましい「日課」ができました。

 それでこの1ヶ月の結果はどうなったか?

 きっとこういう風にレポートする日が来るに違いないと考え、転勤が決まった3月下旬から、それまでは時々しか乗らなかった体重計に毎日乗って、体重の変化を毎日記録してきました。その結果が以下のグラフです。 

 頑張りました。
 むしろ、4月9日の給食の食べ始め以降、体重は減少しています。
 学校現場は、人としゃべることが仕事の中心です。しゃべることがエネルギーの消費につながっています。(4月末に体重が増えているのは、いうまでもなく、連休のため家で食っちゃ寝しているからです。)
 
 体重維持のもう一つの秘訣は、やはり、スポーツです。
 オフィス暮らしの方からはうらやましがられそうですが、学校は基本的に体育館・グランド付きです。運動の機会には恵まれています。
 4月24日には、なんと14年ぶりに生徒のスポーツテストに参加して、
50m走のタイムを計りました。もちろん往年の脚力はなく、7秒8というごく普通のタイムでしたが、それ故にまたふつふつと運動に挑戦する野望も湧いてきました。(腰痛と膝痛に気をつけながらですが・・・。)


 学校勤務になって一番の大きな変化は、自分で勉強しよう、前向きにいろいろ考えようという姿勢が、この4月からまた一段と強くなったことです。
 もちろん、事務職でいた時も、将来の展望をもつために、また今直面している問題を解決するために、いろいろ考え、勉強することは山ほどありました。
 しかし、その度合いが、学校現場に行ってより強くなったのです。
 その理由は二つあります。

 一つは、やはり、学校には、解決すべき問題が山積みになっており、また、日々続々と発生しています。生徒に関すること、職員の仕事ぶりに関すること、組織としての大きな方向性などなど、やはり、
「事件」は現場でより多く起こっています。これらに的確に対応していくためには、より前向きで積極的な対応が必要です。

 二つ目は、教員としてより本質的な問題からです。
 私たちが「教師」だと称して生徒や保護者の前に立つことができるのはなぜなのか?
 「辞令をもらっているから」などというつまらん答えではいけません。
 経験の多少、教師としての実力の大小など、いろいろな条件を考慮して、もっとも経験が少なく教師としての力量が小さい方でも、人前で教師然としていることが許されるのはなぜか?という問いかけです。

 私は、それは、
その人物がつねに勉強していて、教えること以前に自分が学ぶことに情熱があり、それ故に、学ぶことの面白さ、学ぶことの楽しさをいつも持っている、まるで、学ぶことが楽しくて嬉しくてしょうがないといった存在になっていることだと思っています。
 教師としての経験が浅く、たとえその人が今学んでいる領域が学問的には初歩的な分野であったとしても、その自分が感じている楽しさを今度は生徒に伝えたいという情熱があれば、それはもう立派な教師でしょうし、生徒から見ても、とても魅力的に感じられると思います。
 
 学校というところは、生徒やそして職員同士に、自分が「学ぶ」ということに熱心で興奮している、そして、それを情熱的に伝え(教え)ようとしている、これをつねに態度で示していくところです。
 何を語るか、何を分かるように説明するか、何を範として具体的な行動で示すか、そして、どんな感動を心に吹き込むか、毎日毎日、わくわくしながら勉強の連続です。 

 4月からの新しい環境、新しい生活、新しい出会い。
 みな感謝・感謝です。


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