2006-06
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096 2006年12月10日(日) 映画「硫黄島からの手紙」硫黄島の戦い2        

 前回に続けて、クリント・イーストウッド監督のワーナー・ブラザーズ映画硫黄島2部作についてです。

 今回見てきたのは、もちろん、2部作目、日本側の戦いを描いた「
硫黄島からの手紙」です。
 
 この映画のポイントを箇条書きで示します。

  • 陸軍軍人としては少数派のアメリカでの勤務経験がある硫黄島守備隊指揮官栗林忠道中将がもつ合理性がうまく描かれている。

  • 具体的には、伝統的な戦術である敵上陸軍の水際撃滅戦術から後方縦深複郭陣地構築による徹底抗戦戦術への変更が分かりやすく表現されている。

  • その合理性と新規発想が必ずしも現場指揮官に受け入れられず、軋轢があったこともちゃんと表現されている。

  • タイトルの「手紙」を書いた人物が、栗林中将だけではないことは映画設定上当然予想されたが、意外な人物の手紙を登場させることによって、戦場という場の非人間性とそこに現実に生きていた人間を包む心温まる感情をうまく描いている。

  • 将軍・士官・兵、それぞれのレベルでの生き方と死に方を通して、ヒューマンな戦争映画となっている。

原作小説は、梯久美子著『散るぞ悲しき』(新潮社 2005年)などです。


  わが家の映画「
硫黄島からの手紙」に対する評価はこうなりました。 

お薦め人 お薦め度
(3点満点)
コ  メ  ン  ト

★★

ちょっとヒューマンな構成にしすぎて、くどかったかな。逆にリアリティーから乖離。

妻N

★★

こわかったけど、いろいろヒューマンだった。

次男Y(20歳)

★★

テーマはいろいろ盛り込まれていたが、ストーリーは分かりやすかった。

3男D(16歳)

たとえば、上陸○日目とか、戦争の全体像が分かるとよかった。

 

 ※映画「硫黄島から手紙」の公式サイトはこちらです。http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/ 

 手紙を通して、戦場に起きる人々の苦悩人間性を描くという点では、この映画のねらいは分かりやすく、十分に感動を与えてくれるものでした。

 ただし、ワンパターンで申し訳ありませんが、3男Dのように、今の若者には、やはり予習が必要な映画です。
水際撃滅戦術後方縦深複郭陣地陸軍と海軍の立場の違いなどなど・・・・。

 またまた、解説をしましょう。 


1 硫黄島の戦いの概要

 
 先の、「父親たちの星条旗」でもお話をしましたが、硫黄島の戦いの最大の特色は、
アメリカ軍の犠牲者(戦死者+戦傷者)が日本軍のそれを上回ったことにあります。

硫黄島の戦いにおける日米両軍の死者数

日本軍

  

アメリカ軍

20,933

参加兵力

61,000

19,900

戦死者数

6,821

(捕虜となったもの)1,033

戦傷者数

21,865

20,933

合計

28,686

防衛庁防衛研究所戦史室編『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦2 ペリリュー・アンガウル・硫黄島』(朝雲新聞社 1968年)P415


 どうしてそうなったか?
 日本軍が特別なことをしたのか?アメリカ軍にぬかりがあったのか?

 もちろん、参加兵力、火力等から言えば、アメリカ軍が圧倒的優勢であり、アメリカ軍が予想以上の犠牲を被った理由は、主に、日本軍の巧みで、辛抱強い戦闘の遂行にありました。
 
 3男Dの映画評に応えるために、
アメリカ軍の硫黄島占領完了までの様子を地図にしました。


 硫黄島は、面積約22万平方メートルの小さな島です。
 最高峰は島最南端の摺鉢山169mで、北部には、100前後の標高を持つ元山台地があります。
 日本軍は、摺鉢山と元山台地に陣地を構築して、アメリカ軍を迎え撃つ計画でした。
   ※地図は、前ページの参考文献一覧にある諸図面を参考に作成しました。


 2月19日に上陸したアメリカ海兵隊2個師団は、日本軍の砲撃に苦しみましたが、その日のうちに、南海岸に橋頭堡を築き、千鳥飛行場の手前まで、つまり、島の内陸へ幅500m〜800m前後のエリアを占領します。
 その後、日本軍としては、摺鉢山が上陸5日目の2月23日という予想外に早い時期に陥落したのは痛手でした。南北両方向からアメリカ軍を挟撃するという作戦が頓挫してしまったからです。

 しかし、島の北部での抵抗は、予定通りしぶとく続けられました。
 上の地図をご覧下さい。
 南海岸の一番東側に上陸した第4海兵師団第25連隊の位置と、島の北端まで距離は僅か4km程です。
 その4kmを制圧するのに、アメリカ軍は36日を要しました。その間に、アメリカ軍の犠牲はふくれあがっていきます。

 その長期出血を強いた要因こそが、栗林中将の防衛思想と将兵の戦いぶりにあったのです。


 この続きは来週です。 


硫黄島の発音について 「いおうじま」か「いおうとう」か>

 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島」2部作では、「硫黄島」の発音は、「いおうじま」です。英語でもそう発音されています。最も、英語表記は、普通のローマ字表記の「iou jima」ではなく、アメリカ軍が当初から用いた、「
Iwo jima」です。
 
 英語を母国語とする国民にとっては、日本語の、母音がいくつも並ぶ発音は、とても奇異に思え、発音しづらいのでしょう。青い絵「aoie」をうまく発音できなかったり、円が「yen」と表記されるのと同じでしょう。

 さて、この「いおうじま」ですが、私は、子どものころ最初にこの島のことを耳で聞いた時は、確か「
いおうとう」と発音されていた気がしました。
 この2部作では、どちらも、「
いおうじま」になっています。
 「硫黄島からの手紙」の中でも、渡辺謙演じる栗林中将も「
いおうじま」と呼んでいます。

 どちらが正しいのでしょう。

 調べてみたら、ちゃんとした方の解説が見つかりました。以下に引用します。

「次に、硫黄島の島名呼称の問題について少しく言及しておかなければならない。
 火山(硫黄)列島は、戦前の日本では「いわうたう」と呼ばれ、外国人からは、Bonin Islands(無人島の日本語から変化したもの)又はSulfur Islands(硫黄島)と呼ばれていた。

 戦後暫くの間、日本人の言語空間には、“
硫黄島(いおうとう)という固有名詞が焼き付けられていたが、昭和50年代半ばころからテレビ報道などで「イオウジマ」が多く使われるようになるにつれて、国民の中にもかつての硫黄島を「イオウジマ」と呼称する人が次第に多くなってきている。それは、米軍日系二世の通訳によって誤伝された島の名称が、米国史上未曾有の激戦だったこともあり、バトル・オブ・イオウジマBattle of Iwo jima)として強烈に刻印され、その呼称が米国内で一人歩きしてしまい、それを日本が倣うようになったからであろう。

 また、海上自衛隊と航空自衛隊が、返還後暫くの間米軍と同居する都合上共通の基地名Iwo jima Baseを使用し、その後米軍から完全に引き継いだ後も、永く慣れ親しんできた基地名称を日本本来の呼称に変更しなかったことにも、このような名称問題が生じた大きな原因がある。

 実は、アメリカの戦史書に記されている太平洋の島々の作戦戦闘名称は、“Battle of Saipan”、“Battle of Truk”、“Battle of Guam”のように“島(Tou)”が付かないのを常とするが、硫黄島戦だけが何かの間違いが重なって、作戦戦闘名に“島(Tou)”が付けられ、それも“Tou”でなく“Jima”と誤伝され誤記されることになつた。そして、硫黄島戦が古今東西未曾有の大損耗を出した激戦だったことから、
Iwo jimaという呼称が米国内外に広く普及されてしまったのである。

 筆者は、大東亜戦争における硫黄島の防備のために身を挺して孤軍敢闘した帝国陸海軍将兵の偉功と当時の日本国民がこの島の戦いに寄せた深い思いを、後世の日本人に正しく伝えるため、本書において戦史を記述するときには“
硫黄島(いおうとう)”と呼称することに努め、アメリカがこの島を何と呼ぼうがアメリカの勝手ではあるが、アメリカ側のことを記述する場合には一応“硫黄島(イオウジマ)”と区別して記述することとする。」

武市銀治郎著『硫黄島 極限の戦場に刻まれた日本人の魂』(大村書店 2002年)P12 
参考文献一覧 はこちらです。
引用部分中の赤字・青字、及び行間設定は、引用者が行いました。


 映画の中では、せめて栗林中将の口からは、「いおうとう」と発音して欲しかったですね。


【追記 硫黄島の呼称の変更 「いおうじま」から「いおうとう」へ】 07/08/11追記
 上に書いた私の願いを当局が取り上げたというわけではありませんが、当事者の元島民の願いが叶って、硫黄島の呼び方が、戦後長く続いてきた「いおうじま」から戦前の「いおうとう」に戻りました。
 国土地理院の2007年6月18日14じ30分の発表記事の全文を掲載します。

「 国土地理院(院長 藤本 貴也(ふじもとたかや))は、小笠原村から地名修正の要望を受け、東京都小笠原村所属の硫黄島の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」へ変更しました。

 硫黄島については、地元で旧島民が「いおうとう」と呼んでいた背景もあり、小笠原村から国土地理院に地名修正の要望が寄せられ、国土地理院と海上保安庁海洋情報部で構成する「地名等の統一に関する連絡協議会」で検討を続けてきた結果、6月18日の協議会で「硫黄島」の呼称が「いおうとう」に変更されました。

 また、「硫黄島」の呼称の他に「北硫黄島」の呼称が「きたいおうじま」から「きたいおうとう」に、「南硫黄島」の呼称が「みなみいおうじま」から「みなみいおうとう」に変更されました。

 国土地理院では、硫黄島の呼称が変更されたことに伴い、2万5千分1地形図「硫黄島」について、図名のふりがなを「いおうじま」から「いおうとう」に変更するとともに、併せて昭和57年以降の地形の一部について修正し、9月1日に刊行する予定です。」

詳しくは、国土地理院の発表のページへどうぞ。
 http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2007/0618.htm


 これは、私としては、「
戦前への回帰」という点で懸念を表明するよりは、「アメリカの言いなりにならない日本」という視点から、高く評価したいと思います。


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