2005-13
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088 2005年07月30日(土) 映画「亡国のイージス」              

 2005年7月30日、日本ヘラルド映画・松竹映画等の製作による映画「亡国のイージス」(阪本順治監督作品)が封切られました。
 私にとっては思い入れのある待ちに待った映画で、家族4人で封切り日に出かけました。場所は、いつものAMCリバーサイドモールです。
 


 端的に家族の感想を表にすると、次のようになりました。 
お薦め人 お薦め度
(3点満点
コ  メ  ン  ト
★★★ 重い映画でしたが、ハリウッドの娯楽大作とは違います。これでいいのです。
妻N   撃ち合いは怖い。(いつもこのパターンです。(--;)すみません。夫弁解。)
次男Y(19歳) ★★★ 逆転のあるストーリー展開が面白い。本物のイージス艦も迫力満点。
3男D(15歳) ★★★

いろいろなレベルのメッセージ性があって、芯がある。福井晴敏の世界をうまく表現。

 
 「戦い映画」が基本的に嫌いな妻Nがこういう作品にお薦めマークをたくさん出すことはあり得ません。これを除くと、わが家の男達は、3人全員が推薦度3点満点を出しました。

 映画を見た後、わが家では、帰りの自動車の中で、作品の感想を言い合うのが常です。
 正直、原作も読んで、思い入れがあって、やや客観性を欠いている私自信は、自分がいくら感動しても、それが信頼性のある評価かどうかははなはだ疑問です。

 息子達からいい評価を聞いて、安心しました。

 では、何が高い評価につながったか。映画の見所は何でしょうか。


1 迫力の本物映像

 戦争シーンの入る日本の映画というと、古くは怪獣ゴジラシリーズなどをはじめ、多くは、特殊撮影によるものでした。
 昨月公開の「戦国自衛隊1549」が、本物の戦車やヘリコプターを登場させて、迫力満点の映像を作ったのは、例外中の例外でした。

 1999年夏に発売された福井晴敏の原作『亡国のイージス』を半年後に初めて手にして一気に読んでしまった私は、次の日に職場の友人にこの本を薦めるとともに、逆に映画化については、
「ただし、アメリカならともかく、この作品は日本では映画にはならないな」
と断言しました。

 日本では、「軍艦」が映画に登場することなど考えられないと思ったからです。
 しかも、この作品では、海上自衛官のグループが反乱を起こして護衛艦を乗っ取り、護衛艦同士が戦闘して「正規軍」の護衛艦1隻が沈み、あげくに、「反乱軍」のイージス艦「いそかぜ」は、東京湾で沈没するというストーリーです。
 こんなとんでもないマイナスイメージの作品を、日本お堅い役所が、協力するとはとても思えなかったのです。

 ところが、ところが、この映画には、海上自衛隊も航空自衛隊も全面協力し、2004年9月には本物のイージス艦
みょうこう(妙高、海上自衛隊の艦船番号DDG175)を使って、撮影が行われました。
 海上自衛隊には、小説・映画中の「
いそかぜ」というイージス艦は存在しませんが、映画には、175の番号を付けたみょうこうが、その代わりを演じています。

 脱線ですが、イージス(Aegis)艦の説明です。
 イージス艦とは、イージスシステムを搭載した軍艦のことです。イージスシステムとは、高性能のレーダーとコンピュータを結んで、自艦に迫る標的(ミサイルなど)を的確に把握し、ミサイル・艦砲・機銃などを使って、撃退するシステムのことです。
 
 現在は、どの軍艦も、レーダーとコンピュータとを結んだ防御システムを持っています。しかし、通常の海上自衛隊のミサイル護衛艦のシステムでは、敵艦からミサイル攻撃を受けた場合、レーダーで捕捉した標的をコンピューターで計算して、的確に迎撃用のミサイルや砲弾を放つという「対応」は、
同時に2つの標的にしかできません。つまり、3つ以上同時にミサイルが飛んできたら、お手上げです。
 イージス艦は、150あまりの標的を捕捉し、緊急性の高いものから、同時に
12の目標への対応が可能という、優れものなのです。

 最初にこのシステムを開発したアメリカ海軍は、このシステムを、ギリシア神話のAegis(最高神ゼウスが、娘アテナに送った、すべての邪悪を払う無敵の盾)に倣って、イージス艦と名付けたのです。なかなかいいネーミングです。

 映画の最初の方の場面で、正規軍の護衛艦「うらかぜ」は、いきなり「いそかぜ」の先制攻撃をうけ、ミサイル2発をかわすことには成功しますが、3発目が命中して、撃沈されます。
 このシーンの真の意味が、逆にイージスシステムすごいところを物語っているのです。

 ついでながら、現在日本の海上自衛隊には、4隻のイージス艦、
こんごう173、ちょうかい174、みょうこう175、きりしま176がいます。きりしまは、横須賀が母港ですが、こんごうちょうかいは佐世保、みょうこうは舞鶴が母港です。ミサイルが飛んでくる方向は、北西側だからでしょうか。


 最後には、「
いそかぜ」はお台場のやや南の東京湾で沈没してしまいますが、もちろん、このシーンはCGです。
 映画には、他の護衛艦や、
航空自衛隊三沢基地のF2戦闘機も登場します。これも本物です。
 そのほかにも、本物の自衛官が映っているシーンがあるなど、自衛隊の前例のない協力ぶりが、この映画を成功へ導いたと言えるでしょう。


2 メッセージ(ストーリーも含めて)
 
 では、お堅い役所が、どこに共鳴して、この映画への協力を申し出たのでしょうか。
 「亡国のイージス」公式サイトには、次のように記されています。

 原作と脚本に共感した海上自衛隊は「任務に誇りを持つ血の通った人間が描かれている」と史上初となる全面協力を快諾。通常任務に支障がない範囲で訓練に密着した撮影を許可し、さらに会話や通信に登場する用語の監修、敬礼の仕方に至るまで、俳優たちの訓練をも実施した。
 協力は海上自衛隊だけではない。この作品では航空自衛隊もまた全面協力。最新鋭のF2支援戦闘機による撮影用の離着陸が許可されたうえ、飛行するF2支援戦闘機をT4中等練習機に乗ったカメラマンが追う、高度1万3000フィートでの撮影も可能になった。

 「亡国のイージス Official WebSite」はこちらです。


 この快諾理由は、原作者と監督が盛り込もうとしたいくつかのメッセージの一番重要なものを理解したものといえます。
 では、それもふくめて、メッセージを、私なりに説明したいと思います。

@ 守るべき日本とは何か

 これは、映画・小説では、反乱軍の中心人物宮津弘隆2等海佐(寺尾聡)の息子の書いた論文に示されています。そして、この論文こそが、すべての事件の発端となります。
 この論文を書き、北朝鮮工作員の
ヨンファ(中井貴一)と接触したために、DAIS(防衛庁情報局)によって息子を死に追いやられた信じる宮津2佐は、その工作員ヨンファと手を結び、日本政府の欺瞞を暴き、日本を覚醒させるために、あえて最新鋭イージス艦を乗っ取り、「反乱」を企てるのです。

 モーレツに長いですが、これぞこの作品の真髄ですから、原作から引用します。(読みやすい様、適宜、行間を空けるなどしています。)

「 自分は、国費で勉学を賄われている防大生のひとりである。一年後には任官され、国防に携わることでその費用をお返ししなければならない者であるが、3年学んでなお、『国を守る』ということの本質がわからない愚か看でもある。
・・・在日米軍基地の補完を念頭に装備の拡充を続けてきた自衛隊は、西側第二を誇る対潜掃海能力・上陸阻止能力を備えるまでになった。その一方、洋上防空や陣地構築能力、打撃力は希薄で、有事法制さえ整わない自衛隊は、依然、一国家の軍‡力としては重な存在として残る。・・・経済や労働力にしても同様で、価れた職人気賃を持つ者は、往々にしてその職能を通してしか世界を見ようとせず、結果的に狭量lな価値観と人生観の中に己を追いやってしまう性癖がある。プロフェッショナルとしての能力が、その者の人格をも高めるということは希なのである。

 ・・・・・・その職人気質に裏打ちされた技術力と、長年培ってきた奉公という美徳の発露によって、日本は戦後、驚くべき速度で復興を為し遂げた。が、奉公という美徳の裏側には、組織の中に埋没する人間性、その結果として生じる無思考、無責任、無節操という影がある 上意下違の徹底は強固なチームワークと経営体質を企業に与えたが、上に対してロを閉ざすのを当たり前にしすぎた結果は、参政意欲のない、主権意識のきわめて希薄な国民たちを生み出すことにもなった。そうして・・個人としては考えることも責任を取ることもできなくなつた国民が、経済という制御の難しい化け物と場当たり主義でつきあい続けた結果が、バブルの災厄を招来した。

 バブル崩壊が経済システムを袋小路に追い込み、辺野古ディストラクションが安全保件の存立を揺るがせた今こそ、日本は独自の姿勢を表明すべきだった。だが結局ものと鞘に収まってしまうのも、誰一人として「日本とは何か」「何を優先して、何を誇るのか」について、世界に通用する明確なロジックを持っていなかったからだ。
 冷戦戦終結によって「反共の不沈空母」という方向性が失われた現在、国防問題もまた岐路に立たされている。絶えず仮想脅威を創出してゆかなければならない日米安保の維持に固執することは、梶本政権が提唱する日本型システムの復活と同じ、これまでの無責任体質を継続させる結果になりかねない。

 辺野古ディストラクション以来始まった一連の沖縄問題への対応、アメリカの対応を見越した恣意的な海上戦力整備は、明らかにこれまでの過ちを継続、強化させるだけの愚行であると断言できる。自衛隊は従来の在日米軍とのリンクがあって初めて能力を発揮するというあり方をやめ、削るべきは削り、増やすべきは増やして、日本の地勢と国力に合わせて完結した戦力を整備してゆくのが正しいやり方ではないか。

 日米安保はあくまで国連貢献の一環であることを明示して、片務ではない、両国の相互利益に基づいて運営されていることを互いに自覚しあうこと。それには、何よりもまず日本が自らの所信を表明し、ひとつの国家として一貫した主張とカラーを打ち出してゆかなければならない。今までそれを怠ってきた絵果が、未だに大日本帝国の復活を恐れるアジアの愚にもつかない誤解と誹謗を招き、誰からも、自分白身からも信用されないし、尊敬もされない体質を作り続けてきたのではないだろうか。

 重要なのは、国民一人−人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持つこと。それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか。
 誰も責任を取らない平和論や、理想論に基づいた合理的経済理論では現在の閉塞を打ち破ることはできない。・・・・・
・現状では、イージス艦を始めとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている。亡国の楯だ。それは国民も、我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ。
 ※福井晴敏著『亡国のイージス』(講談社 1999年)P221−225

A この艦と乗員たちを守る。それが俺の任務だ。

 @のメッセージは、非常に重要なメッセージですが、あまりにも、途方もなく大きなメッセージであり、庶民感覚では処理できません。いわば、原作者の表の看板です。
 いわずもがなですが、自衛隊幹部が、このメッセージを読んで、「よろしい」といって感動するはずがありません。少なくとも公式には・・・です。

 それに対して、もっと普通の人の心に訴える普通の人間の心象レベルでのメッセージが、こちらです。

 
宮津2佐ヨンファによって占拠された護衛艦「いそかぜ」に対して、二人の人間が、その行動を阻止しようと命がけの行動を起こします。

 ひとりは、この動きをあらかじめ察知していたDAISによって普通の自衛隊員として「いそかぜ」に潜入させられていた、
如月行1等海士(勝地涼、彼は若いけれど対テロ大作のプロです)。

 もうひとりは、先任伍長
仙石恒史(真田広之)です。
 先任伍長というのは、いわゆる下士官です。先任下士官というのは、どこの軍隊でもそうですが、日本なら防衛大学など最高学府を出た士官がエリートとして指揮官を務めるのに対して、組織(この場合は護衛艦「
いそかぜ」)のことを熟知していて、普通の隊員を直接動かしその面倒を見る熟練者です。
 
 その
仙石先任伍長が、熱意をもって、職務を遂行し、乗っ取られた「いそかぜ」の中で孤軍奮闘し、日本を「破滅」から救います。

 もちろん、テロリストと戦うには、銃弾を浴びても簡単にはくじけない、映画ならではの「強靱な肉体」も必要で、彼は「ダイハード」のブルース・ウィリス並みの働きをします。

 しかし、彼は、またハリウッド映画にはない、日本映画ならではの役割も演じます。

 戦いの過程で、
如月や他の人間に対して、実は、「守るべきものは何か」の答えを出していくのです。日本人として進むべき道は何なのかの、答えを示し続けていくのです。
 真田広之としては、「たそがれ清兵衛」をもこえる、いい役にはまったと言えるでしょう。

 このことこそが、実は、自衛隊の協力を得られた理由だとおもいます。

 先々週、深夜番組で、ある若いタレントさんが、この映画の評価コメントをしゃべっていました。
「こんな重い映画を作らなくても、ハリウッドのように、痛快アクション大作にすればよかったのに。」

 ひとそれぞれですが、この重さにこそ、「守るべき日本」があると感じています。
 是非、ご覧になってください。
 


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