2 メッセージ(ストーリーも含めて)
では、お堅い役所が、どこに共鳴して、この映画への協力を申し出たのでしょうか。
「亡国のイージス」公式サイトには、次のように記されています。
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原作と脚本に共感した海上自衛隊は「任務に誇りを持つ血の通った人間が描かれている」と史上初となる全面協力を快諾。通常任務に支障がない範囲で訓練に密着した撮影を許可し、さらに会話や通信に登場する用語の監修、敬礼の仕方に至るまで、俳優たちの訓練をも実施した。
協力は海上自衛隊だけではない。この作品では航空自衛隊もまた全面協力。最新鋭のF2支援戦闘機による撮影用の離着陸が許可されたうえ、飛行するF2支援戦闘機をT4中等練習機に乗ったカメラマンが追う、高度1万3000フィートでの撮影も可能になった。 |
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「亡国のイージス Official WebSite」はこちらです。 |
この快諾理由は、原作者と監督が盛り込もうとしたいくつかのメッセージの一番重要なものを理解したものといえます。
では、それもふくめて、メッセージを、私なりに説明したいと思います。
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@ 守るべき日本とは何か |
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これは、映画・小説では、反乱軍の中心人物宮津弘隆2等海佐(寺尾聡)の息子の書いた論文に示されています。そして、この論文こそが、すべての事件の発端となります。
この論文を書き、北朝鮮工作員のヨンファ(中井貴一)と接触したために、DAIS(防衛庁情報局)によって息子を死に追いやられた信じる宮津2佐は、その工作員ヨンファと手を結び、日本政府の欺瞞を暴き、日本を覚醒させるために、あえて最新鋭イージス艦を乗っ取り、「反乱」を企てるのです。
モーレツに長いですが、これぞこの作品の真髄ですから、原作から引用します。(読みやすい様、適宜、行間を空けるなどしています。)
「 自分は、国費で勉学を賄われている防大生のひとりである。一年後には任官され、国防に携わることでその費用をお返ししなければならない者であるが、3年学んでなお、『国を守る』ということの本質がわからない愚か看でもある。
・・・在日米軍基地の補完を念頭に装備の拡充を続けてきた自衛隊は、西側第二を誇る対潜掃海能力・上陸阻止能力を備えるまでになった。その一方、洋上防空や陣地構築能力、打撃力は希薄で、有事法制さえ整わない自衛隊は、依然、一国家の軍‡力としては重な存在として残る。・・・経済や労働力にしても同様で、価れた職人気賃を持つ者は、往々にしてその職能を通してしか世界を見ようとせず、結果的に狭量lな価値観と人生観の中に己を追いやってしまう性癖がある。プロフェッショナルとしての能力が、その者の人格をも高めるということは希なのである。
・・・・・・その職人気質に裏打ちされた技術力と、長年培ってきた奉公という美徳の発露によって、日本は戦後、驚くべき速度で復興を為し遂げた。が、奉公という美徳の裏側には、組織の中に埋没する人間性、その結果として生じる無思考、無責任、無節操という影がある 上意下違の徹底は強固なチームワークと経営体質を企業に与えたが、上に対してロを閉ざすのを当たり前にしすぎた結果は、参政意欲のない、主権意識のきわめて希薄な国民たちを生み出すことにもなった。そうして・・個人としては考えることも責任を取ることもできなくなつた国民が、経済という制御の難しい化け物と場当たり主義でつきあい続けた結果が、バブルの災厄を招来した。
バブル崩壊が経済システムを袋小路に追い込み、辺野古ディストラクションが安全保件の存立を揺るがせた今こそ、日本は独自の姿勢を表明すべきだった。だが結局ものと鞘に収まってしまうのも、誰一人として「日本とは何か」「何を優先して、何を誇るのか」について、世界に通用する明確なロジックを持っていなかったからだ。
冷戦戦終結によって「反共の不沈空母」という方向性が失われた現在、国防問題もまた岐路に立たされている。絶えず仮想脅威を創出してゆかなければならない日米安保の維持に固執することは、梶本政権が提唱する日本型システムの復活と同じ、これまでの無責任体質を継続させる結果になりかねない。
辺野古ディストラクション以来始まった一連の沖縄問題への対応、アメリカの対応を見越した恣意的な海上戦力整備は、明らかにこれまでの過ちを継続、強化させるだけの愚行であると断言できる。自衛隊は従来の在日米軍とのリンクがあって初めて能力を発揮するというあり方をやめ、削るべきは削り、増やすべきは増やして、日本の地勢と国力に合わせて完結した戦力を整備してゆくのが正しいやり方ではないか。
日米安保はあくまで国連貢献の一環であることを明示して、片務ではない、両国の相互利益に基づいて運営されていることを互いに自覚しあうこと。それには、何よりもまず日本が自らの所信を表明し、ひとつの国家として一貫した主張とカラーを打ち出してゆかなければならない。今までそれを怠ってきた絵果が、未だに大日本帝国の復活を恐れるアジアの愚にもつかない誤解と誹謗を招き、誰からも、自分白身からも信用されないし、尊敬もされない体質を作り続けてきたのではないだろうか。
重要なのは、国民一人−人が自分で考え、行動し、その結果については責任を持つこと。それを「潔い」とする価値観を、社会全体に敷衍させ、集団のカラーとして打ち出していった時、日本人は初めて己のありようを世界に示し得るのではないだろうか。
誰も責任を取らない平和論や、理想論に基づいた合理的経済理論では現在の閉塞を打ち破ることはできない。・・・・・・現状では、イージス艦を始めとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている。亡国の楯だ。それは国民も、我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ。」
※福井晴敏著『亡国のイージス』(講談社 1999年)P221−225
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A この艦と乗員たちを守る。それが俺の任務だ。 |
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@のメッセージは、非常に重要なメッセージですが、あまりにも、途方もなく大きなメッセージであり、庶民感覚では処理できません。いわば、原作者の表の看板です。
いわずもがなですが、自衛隊幹部が、このメッセージを読んで、「よろしい」といって感動するはずがありません。少なくとも公式には・・・です。
それに対して、もっと普通の人の心に訴える普通の人間の心象レベルでのメッセージが、こちらです。
宮津2佐とヨンファによって占拠された護衛艦「いそかぜ」に対して、二人の人間が、その行動を阻止しようと命がけの行動を起こします。
ひとりは、この動きをあらかじめ察知していたDAISによって普通の自衛隊員として「いそかぜ」に潜入させられていた、如月行1等海士(勝地涼、彼は若いけれど対テロ大作のプロです)。
もうひとりは、先任伍長仙石恒史(真田広之)です。
先任伍長というのは、いわゆる下士官です。先任下士官というのは、どこの軍隊でもそうですが、日本なら防衛大学など最高学府を出た士官がエリートとして指揮官を務めるのに対して、組織(この場合は護衛艦「いそかぜ」)のことを熟知していて、普通の隊員を直接動かしその面倒を見る熟練者です。
その仙石先任伍長が、熱意をもって、職務を遂行し、乗っ取られた「いそかぜ」の中で孤軍奮闘し、日本を「破滅」から救います。
もちろん、テロリストと戦うには、銃弾を浴びても簡単にはくじけない、映画ならではの「強靱な肉体」も必要で、彼は「ダイハード」のブルース・ウィリス並みの働きをします。
しかし、彼は、またハリウッド映画にはない、日本映画ならではの役割も演じます。
戦いの過程で、如月や他の人間に対して、実は、「守るべきものは何か」の答えを出していくのです。日本人として進むべき道は何なのかの、答えを示し続けていくのです。
真田広之としては、「たそがれ清兵衛」をもこえる、いい役にはまったと言えるでしょう。
このことこそが、実は、自衛隊の協力を得られた理由だとおもいます。 |
先々週、深夜番組で、ある若いタレントさんが、この映画の評価コメントをしゃべっていました。
「こんな重い映画を作らなくても、ハリウッドのように、痛快アクション大作にすればよかったのに。」
ひとそれぞれですが、この重さにこそ、「守るべき日本」があると感じています。
是非、ご覧になってください。
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