2004-01
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069 2004年1月1日(木) 2004年の初めに 富士山三昧        

 2002年の8月に、初めて富士山をじっくり見ました。(2002年8月11日の日記)

 2002年8月、河口湖畔からの夏の富士山。富士山と言わなければ誰もそう思わない。多分。

 それまで、富士山のそばに行ったことも何度となくありましたが、天候の加減で、一度も間近で富士山を見ることができなかったのです。
 新幹線で近くを通ったことは何十回とありますが、車内からもあまり見る機会に恵まれませんでした。

 2002年8月に富士山をじっくり見たとき、嬉しい半分、正直、物足りないものを感じました。理由は簡単です。夏だったため山の頂に雪がなかったのです。

 「ちゃんと雪が被っている富士山を見るぞー。」

 これが、2003年の目標でした。
 押し迫った12月28日、ついにその思いを実現すべく、冬の家族旅行に出かけました。
 行き先は、西伊豆と箱根です。
 天気は、快晴、ついに家族そろって、目撃に成功しました。


2003年12月28日東名高速富士川サービスエリアから。

28日西伊豆、戸田(へた)港の北、出会い岬から。

29日箱根大涌谷から。

29日芦ノ湖湖畔、箱根関所跡から。


 見ました、見ました。
 2日間、飽きるほど、浴びるほど富士山をあちこちから見ました。上の4枚は、デジカメで撮りまくった何十枚のうちの4枚です。

 初めて間近で富士山に遭遇する我が家族は、すでに、東名高速の浜松SA付近から富士山探しに一生懸命となり、伊豆や箱根にいたってからは、山や建物の陰から富士山が見えるたびに、「ほー、」「こっち、こっち」「でかい」と、あまり種類の少ない感嘆のセリフを繰り返すばかりでした。
 
 いつも見ている人にとっては「異常」と思えるぐらいの反応してしまいましたが、我が家にとっては、まさに富士山三昧=超感動の連続体験でした。

 やはり、この山は、ただ者ではありません。
 日本の各地に素朴な自然崇拝というものがありますが、やはり富士山はその決定版です。


 さて、2004年は、どんな年になるでしょうか。
 その中で自分はどんな風に生きていけるのでしょうか。

 話を聞いたり、本を読んだりすると、知識は増えていきますが、その分、余りにも道しるべが増えすぎて、路頭に迷ってしまうことも多々あります。  

 最近、自分の心に強く影響を与えている道しるべを二つあげます。

1 一神教と多神教
 2003年、おおかたの期待を裏切り、アメリカによってイラク戦争が行われました。キリスト教世界とイスラム教世界の対立は、もはや非常に危険な状態に立ち入っています。
 また、それとは別に、経済のグローバル化が進められ、ここにおいては、キリスト教モデルの一神教の原理が、グローバルスタンダードと名を変えて、世界を普遍化しようとしています。

 この時代に、我々がよりどころとすべきものは何でしょうか。
 「経済のグローバリズムによって魂の部分まで一神教の問題が入り込んでいるんですね。日本人も安心の部分でひどく圧迫を受け始め、どんなモデルをよりどころにして行かなきゃいけないのかという重大な時期に来て、仏教が注目されています。」
 ※「文化庁長官河合隼雄・中央大学教授中沢新一対談 仏教ブーム」
  『朝日新聞』2003年12月31日

 「たぶん、昔の日本人の多くも、そう(注 空気のように、水のように、仏教の思想を吸収しながら成長する)だったのではないだろうか。ここまでの領分は神道のものだから、仏教は向こうへいっていなきゃだめ、などと不自然なことを人々がまだ強要されていなかった頃、仏教は神道と相携えながら、この列島に生きてきた人々にとって必要な「たましいの自然」を育んできたのである。仏教と出会うことによって、私たちの祖先は、もともと漠然としたかたちで知っていた思想に、みごとな表現が与えられているのを知って驚き、喜んでこれを受け入れたのだろう。」
 ※河合隼雄・中沢新一著『仏教が好き!』(朝日新聞社2003年8月)P257
  
2 うらおもて
 江戸時代の後半の越後の僧、かの有名な良寛さんの辞世の句というのがあります。ご存じのように良寛は越後出身の禅宗の高僧です。
 彼は、和歌や詩文や書に優れるとともに、禅僧として重層的な厚みのある宗教観を形成し、人々の人気を集めました。

 全国良寛会常任理事の松本市壽さんは、良寛の持つ人間性を「良寛アメニティ」と表現し、その思想的な姿勢は、「慈しみのないイデオロギーは存在する価値がない」と言う言葉に表現するのがふさわしく、決して教条主義的ではなかったと叙述しています。
 ※松本市壽著『良寛という生き方』(中央公論新社 2003年12月)P253〜255
 
 その良寛の辞世の句は、ひとつの生き方を示した心打たれるものです。

 「うらをみせ、おもてをみせて、ちるもみじ」
 


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