2003-12
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063 2003年10月11日(土)  秋、実りの秋               

 今年は、冷夏の後、9月になって厳しい残暑が続くという天候異変の夏でした。暑い時がなかったのに残暑というのも変ですね。
 9月に遅れて「本暑」がやってきたというべきかもしれません。

 この異常な気候のおかげで、草花の調子も狂ってしまったようです。本来なら、本当に彼岸の頃に咲く彼岸花やコスモスは、我が地方では、ずいぶん遅れて盛りとなりました。

 彼岸花は、10月第1週が盛りでした。
 普通は、稲刈りを待つ田んぼの畦で数本かたまって花を咲かせるという感じですが、下の写真は、河川敷に咲いた豪華な彼岸花(曼珠沙華)の大群です。


JR東海道線長良川鉄橋の下流の河川敷に咲いた彼岸花。この撮影の3日後に、牧草の刈り取りのためにあっさり絶滅しました。 


 さて、冷夏のおかげで、稲の作柄は一時は非常に心配されましたが、9月の暑さで、関東地方以西は少し持ち直しました。しかし、1993年以来の不作であることは間違いありません。
 米価も、品種によって違いますが、平年に比べ10%から30%の高値が予想されています。

 その為、10月に入って、米が倉庫から盗まれるという米泥棒事件が各地で発生していることが、ニュースで報じられています。

 また、新聞各紙によると10月10日には、滋賀県近江八幡市牧町の水田で、収穫前の稲が刈り取られて盗まれると言う前代未聞の事件まで発生しました。
 約1800平方メートルの田んぼのうち中央部分を除いて、約1000平方メートルがコンバインで刈り取られ、栽培されていた約840キログラム(約22万4000円)のヒノヒカリが盗まれました。
 ※『朝日新聞』2003年10月10日第39面)

 ニュースでは「前代未聞」と言う文句が強調されていましたが、歴史の教師には、室町時代のところで教える、「刈田狼藉検断権」というのが思い出されます。
 ※石井進他著『詳説 日本史』(山川出版1999年)P121

 近代以前の社会では、田地を巡る争うがあったときは、実力で解決する手段として、その地の稲を刈り取ってしまうという強硬策が執られることが往々にしてありました。それが「刈田狼藉」です。
 ※刈田狼藉検断権は、それを取り締まる権限のことです。

 今と違って、昔の土地は、宅地として売るわけでもなく、駐車場にできるわけではなく、その価値はひたすら農産物、とりわけ米を産出することにあったのです。したがって、とりあえず現に実っている稲を刈り取ってしまうという強引な方法は、争いの中で利益を確保する一番手っ取り早い方法でした。
 
 我が地方では、素人の私が水田を見る限り、実りはいつもとそれほど違わないように見えます。


 収穫期の水田、2003年9月21日撮影。岐阜市中地内。

 収穫期の麦畑、2003年5月21日撮影。遠方は北方町立体育館。


  これからお話しすることは、本来は歴史か文化のページに書くことですが、まだ数値的な裏付けができていませんので、ラフなデッサンのみをこの「日記」に書きます。

 今年の5月、近隣の北方町地内で、この地域では珍しいかなり広い面積の麦畑を発見し、撮影しました。右上の写真です。収穫の1週間ほど前です。
 一方、左上は、我が家の近くの田んぼの先月の収穫風景です。
 
 穂がついたときの麦畑は、風が吹いた時に、麦の穂が風の強弱でなびいて、ざわざわとうごめきます。麦の穂の傾き加減で、色が違って見えて、その色の変わり加減が、あたかも模様のような色の変化が、また美しいものです。

 しかし、収穫期のたわわに実った水田には、そういう現象は見られません。稲の穂は重すぎて、風でざわざわ動かないからです。がさがさと揺れますが、麦畑のようにざわざわという現象はありません。

 稲穂は、実るほど頭を垂れるものです。そこが麦の穂と違うところです。


実るほど頭を垂れる稲穂。

麦の穂はなんと表現しましょうか。


 稲と麦のこの違いは、当然、東アジア(東南アジア)とヨーロッパの文化の基本的な違いを構成する大きな要素となっていると思います。
  1. 播種量と収穫量の比較では、米の方が圧倒的に、少ない播種量で多くの収穫が得られます。

  2. これが、東アジア的高人口密度を可能にし、多くの人口を養う基盤となりました。

  3. その分、東アジア的村落共同体は、人口が多いという点からも、稲作が共同作業を必要とすると言う点からも、個人プレイではなく集団性が共通の条件となりました。

  4. 量だけではなく、カロリー・栄養価の面でも十分な米は、それをもたらす自然を含めて崇拝の対象となりました。麦はどの程度、崇拝の対象となっているのでしょう。

 単なる上の写真のイメージだけではなく、実際に播種量と収穫量の比較は正確にはどのくらいなのでしょうか?
 日本のコメに対する崇拝・信仰と同じようなものが、西洋や西アジアの文化にあるのでしょうか?

 もう少し詳しく調べてみたいと思います。


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