江戸時代2
<解説編>
512 享保年間に朝廷から位をもらった外国産の動物は何か。                   問題へ   

 正解は、象です。
 江戸幕府第8代将軍徳川吉宗は、これまでの常識にとらわれない好奇心の大変強い将軍でした。
 彼は、象という巨大な動物がいるという話を聞き、中国人商人にそれを日本へ連れてくるように依頼しました。

 1728(享保13)年6月、長崎に着いた中国船によって2匹の象が日本に上陸します。これは中国人の鄭大威が、はるばるベトナムから運んできたものでした。
 そのうちメス象はすぐに死にましたが、オス象のほうは、翌1729(享保14)年はるばる江戸へ運ばれていきました。

 その途中、4月26日から28にかけて、象は京都へ立ち寄ります。
 浄華院というお寺の本堂前に設けられた象小屋に入れられた象を京都庶民は好奇の目を持って見物しました。実はこれまでも象が日本に来たことはあったのですが、長崎からはるばる運ばれて、多くの日本人の目に触れたのは、これが初めてでした。

 江戸で書かれた象に関する書物『象志』によれば、このオス象は7歳で、以下の大きさでした。
頭長 2尺7寸 約81p
鼻長 3尺3寸 約99p
背高 5尺7寸 約1m71p
胴回り 1丈 3m
胴長 7尺4寸 約2m22p
尾長 3尺3寸 約99p


 4月28日には時の中御門天皇の要望によって、宮中に連れて行かれました。
 但し、宮中のルールでは、天皇の御前に出るにはそれ相当の位階が必要です。そこで、この象に従4位の位が与えられたのです。
 象は、天皇の前で、ヒザをついて礼をする芸を披露したり、まんじゅうを食べ水を飲みました。
 
 また、宮中では象を題とする歌会が開催されました。


 象について詳しい記録が書かれている『象志』(東京都中野区立歴史民俗資料館所蔵)

象を題とする和歌。中御門天皇他の作品。(東京都中野区立歴史民俗資料館所蔵)



 その後、象は江戸へ向かい、将軍吉宗が念願かなって象を見物しました。

 将軍吉宗は幕府役人に象を飼うように命じ、象はしばらくの間浜御殿にいましたが、1741(寛保元)年4月には、民間人の中野村源助に養育金を与え、飼育を命じました。
 源助は、本郷村成願寺裏手に作った象小屋で象を飼育し、なんと、象の糞を乾燥させたものを、「象洞」という丸薬にし、売っていたそうです。なんでもハシカに効くとかの評判で、遠く信濃や越後の国まで売られていきました。

 象は1742年12月には死に、象の骨は源助に与えられました。この骨は見せ物され、25年間の間、庶民の人気を集めました。
 
 このあと、源助の子ども伊左衛門によって、象の骨は中野村の宝仙寺に献納されました。それからずっと、現在に至るまで骨は宝仙寺に納められています。


 江戸で書かれた象の絵
東京都中野区立歴史民俗資料館所蔵)

 木彫りの象の置物、宝仙寺の所蔵品であるが、現在は東京都中野区立歴史民俗資料館に展示中



 宝仙寺は平安後期にかの有名な源義家によって建立された真言宗の由緒ある寺院です。青梅街道に面して広い伽藍を持っています。(営団地下鉄丸の内線中野坂上駅下車徒歩6分)
 残念ながら第二次大戦中の空襲で焼け、その時に、200年間所蔵されていた象の骨と牙の一部が焼損しました。現在では、寺宝として所蔵してあることになってはいるものの、一般公開はされていません。

 象に関する資料は、東京都中野区立歴史民俗資料館に所蔵されています。
  (西武新宿線沼袋駅下車徒歩12分)

 ※参考文献
  武光誠著『頭のよすぎる日本人 ジャポニズムの意外な真実』(同文書院1990年)P255〜56)
  『中野区立歴史民俗資料館 武蔵野における中野の風土と人々のくらし』(中野区教育委員会編1989年)


  ここで、ゾウについての現代の話題をついでにお話しします。
 今全国の動物園で、ゾウの高齢化が進んでいます。
 
 ゾウは、犬やネコなどと比べれば、うんと長生きする動物で、50年以上生きることも珍しくありません。
 日本の動物園は、昭和20年代から30年代につくられたものが多く、その時人気者として輸入されたゾウたちが、あちこちで高齢化しているのです。

 以下は、高齢ゾウのいる動物園です。
動物園名 ゾウの名前 年齢
札幌市円山動物園 花子 57
東京都井の頭自然動物園 はな子 55
横浜市野毛山動物園 はま子 58
小田原市動物園 梅子 56
大阪市天王寺動物公園 春子 54
阪神パーク甲子園住宅遊園 キク子 59
アキ子 54
神戸市立王子動物園 諏訪子 60


 これらのゾウは、見た目にも、「年老いた」という感じで、健康維持も大変です。
 東京都武蔵野市の井の頭動物公園のはな子は、ものを噛む力が落ちて、餌をそのまま与えると、消化不良に陥ってしまいます。そのため、牧草やニンジンは細かく裁断してもらい、水で戻した干し草やすりつぶしたバナナやリンゴと混ぜて団子状にして、食べています。
 老いた皮膚は皮膚病にかかりやすいため、乾燥しやすい部分にはオリーブオイルを塗ってもらっています。

 こうした老いたゾウたちを、いつまでも現役のまま動物園においておくのは忍びないというわけで、千葉県勝浦市の房総半島の丘陵上には、「老ゾウホーム」が建設されつつあります。

 これは、千葉県市原市の動物園、市原ぞうの国が「ゾウが老いた時自然の中で静かに余生を過ごせる楽園」を作ってやりたいと考えて、建設しているものです。

 一方で、沖縄子どもの国沖縄動物園では、動物を見に来る小学生達には、「動物園には元気者ばかりではなく、こんな老いた動物もいる」ということも分かってもらうべきで、老いた動物を観客とともにありのままに見つめていこうとしています。
 もっとも、人気者だったアシカは、老いて物忘れがひどくなり、アシカショーからは引退をすることになりましたが・・・・。
 ※最後の項目は、『日本経済新聞 平成15年3月23日 Sunday Nikkei』を参考にしました。