政治制度・機関2
<解説編>
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201 無期懲役の服役囚の平均服役年数は何年?           | 問題編へ |     

 日本の裁判制度では、死刑の次は無期懲役。これは外国の「終身刑」(死ぬまで服役する)とは違って、刑期が定められていないだけですから、懲役15年の刑(懲役刑の最高年数、複数の事件で有罪の場合は20年が最高)よりは長く服役しなければなりませんが、いつまでも永遠にというわけではありません。仮釈放及び保護観察等に関する規則によれば、

  1. 悔悟の情がある

  2. 更正の意欲がある

  3. 再犯の恐れがない

  4. 社会の感情が仮釈放を是認する

 などの基準を満たせば、地方更生保護委員会の決定によって、仮釈放となります。

 2000年に仮釈放された服役者の平均服役年数は、21年2ヶ月でした。
 この数字は、1991年や93年には、18年1ヶ月で、服役年数は次第に長くなっています。この理由は、強盗殺人など凶悪犯罪が増加する中で、「被害者への配慮が進んだことなどが背景にある」と法務省はコメントしています。上記の4の「社会の感情」の中には、被害者の声が反映されると説明しており、凶悪事件の増加と被害者保護を底流とした厳罰化の傾向にあると考えられます。
 ちなみに、自民党など与党では、死刑と20年前後で仮釈放となる無期懲役とでは格差が大きいとして、「終身刑に関するプロジェクトチーム」を作って、検討中です。

 平成12年末の無期懲役の受刑者は、1047人。(男1014人、女33人)この数字は、1991年の870人と比較すると、毎年、30人から45人ほど増えていることになります。
 ※岐阜新聞2001年9月4日の記事より



202 国旗日の丸の赤丸の大きさは、縦の長さの旗の縦の長さの何分の1ですか?    | 問題編へ |     

 国旗日の丸と国歌君が代

   (国旗) 
 第1条 国旗は日章旗とする。
 2 日章旗の制式は、別記の第一のとおりとする。
   (国歌)
 第2条 国歌は君が代とする。
 2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
   
 別記第一(第一条関係)
  日章旗の制式
 一 寸法の割合及び日章の位置  
    
 縦  横の三分の二
     日章
       直径 縦の五分の三
       中心 旗の中心


   附則
   (施行期日)
 1 この法律は、公布の日から施行する。
   (商船規則の廃止)
 2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。
   (日章旗の制式の特例)
 3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定
   にかかわらず、寸法の割合について縦を十分の七とし、
   かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側
   横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。

については、不思議なことに長く法律上の規定はありませんでした。いずれも、事実上の国歌と国旗だったわけです。

 最近のことですからご存じでしょうが、1999(平成11)年、賛否両論がある中で、「国旗及び国歌に関する法律」(以下国旗国歌法と略称)が制定されました。
 そこには右のように書かれています。

 つまり、法律上、国旗の縦と横の比は、2:3、
日の丸の直径は、縦の五分の三ということになります
。これを図柄にすれば、下の図のとおりとなり、問題の三つの中では、Aが正解となります。

 日の丸の直径は縦の五分の三ということを知っていた方でも、Bだと思った方が多いのではないでしょうか。

 正式な日の丸は、思っていたよりは、意外と小さめなのです。

 
ところで、附則の2にある、「商船規則の廃止」とは何でしょうか。

 冒頭に、以前には日の丸を規定した法律はないといいましたが、実は、準じるべき規定はあったのです。

 まずは、日の丸がいつ制定されたかです。
 幕末に鎖国をやめ外国との本格的な通称・国交を始めた時、外国の例にならって、それが日本の船であることを示す旗のデザインを決める必要がでてきました。
 この時、薩摩藩主島津斎彬が考案したと言われているのが、日の丸です。幕府は、1854年(日米和親条約締結の年)に日の丸を日本の船に掲げる「総船印」(そうふなじるし)と決めました。

 このあと、明治政府は、1870(明治3)年の太政官布告による「商船規則」で、日の丸を日本の船に掲げる国旗としたのです。「国旗国歌法」制定までは、政府は「商船規則」が通用する法律としてきました。したがって、「国旗国歌法」の制定によって、「商船規則」は廃止されることになったのです。
 しかし、これは、あくまで船に掲げる旗の意味で、いつでもどこでも通用する「国旗」というものを規定した法律はなかったのです。
 
 附則の3には、縦を横の十分の七とするサイズを暫定的に認めるという内容です。これは、「商船規則」に、縦横の比率は、7:10と言う規定があり、政府も「国旗国歌法」制定までは、問い合わせがあれば、この10:7を答えとしてきましたから、現在ある日の丸のうち、相当数が、10:7のものとなっています。制式となった3:2以外に、これまでの10:7を認めないわけにはいかないというわけです。
 「当分の間」となっていますが、これは、まあ、半永久的ですね。

 日本国の日の丸が果たしてきた役割は、時代によって様々でした。いろいろ論評するより、ひとつの面白いエピソードを紹介します。
 昔の文部省唱歌に『日のまる』(高野辰之作詞、岡野真一作曲)というのがあります。
   
白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は
 という簡単な歌詞です。
 この歌の2番は、現在では、
   
青空高く 日の丸上げて ああ美しい 日本の旗は
 となっていますが、実は戦前は、この歌詞ではありませんでした。
  
 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は 
 だったのです。
   
 国旗や国歌の「意味」は、その時代の国民の意志が、表現されていなければならないと考えます。

 ※財団法人国民の祝日を祝う会パンフレット『国民の祝日』(2001年)
 ※『朝日新聞』(1990年3月24日)「白地に赤く 日の丸・君が代の義務化を前に」  


203 発明王エジソンが最初に特許を取った装置とは?              | 問題編へ |    

 トーマス・アルバート・エジソンについては、今更ここで説明をするまでもありませんが、少し物知りのあなたのほうが、この問題の答えは間違えやすいと思いますので、ちょっと説明します。

 エジソンは、1847年アメリカのオハイオ州で生まれました。1931年に没するまでに、電球、発電システム、録音装置、映写機などを発明し、生涯で1000件以上の特許を取得しました。
 
 ミシガン州のポートヒューロンで小学校に入りますが、教師から知能が低いと言われ3ヶ月で退学。基礎的知識は教師だった母親から学びました。

 12歳の時、グランド・トランク鉄道で新聞売りの仕事を始め、ひまなときはもっぱら貨車で実験をして過ごし、車内で印刷した新聞「グランド・トランク・ヘラルド」を発売しました。この「鉄道時代」にエジソンの発明家・科学技術者としての原点があることはどなたも承知の通りです。

 この間にエジソンは、駅長の子どもが列車に轢かれる寸前に救うという活躍をし、その駅長から電信技術を学び、また謝礼として手にした金でファラデーの全集を購入し、電磁気学の勉強に入りました。この結果、電信技手として働きながら、彼が最初に作った発明品は、電信技手がいなくても自動的に信号が次のラインに伝えられるという、「電信反復装置」でした。しかし、これは、特許の第一号ではありません。
 ※以上エジソンの「伝記」部分は、「マルチメディア百科事典ENCARTA97」(マイクロソフト社)に依りました。

 彼はその後ボストンに移り、そこで、1868年21歳の時、彼自身にとっては特許の第一号を取ります。
 
正解。それは、自動投票記録機。つまり、議会で議員が議員席からボタンを押すと、電信装置で賛成・反対の投票数が表示され、あっという間に投票の結果が出るという装置の発明でした。

 これは、採用されたかされなかったか?
 この装置がエジソンの発明品として有名でないことから推察できるように、これは採用されませんでした。

 理由は簡単です。
 議会に売り込んだものの全くの不評だったのです。今も昔も、議会では、反対党から見れば採決を長引かせて会期終了審議未了によって廃案に持ち込むのも、一つの戦術だったのです。
 最近ではそれほど多くは用いられませんが、日本の国会での、「牛歩戦術」を思い起こしてもらえれば、何のことかわかります。

 かくてエジソンの自身第一号の特許は日の目を見ませんでした。しかし、これは、エジソンに重要な教訓を与えました。「みんなに喜ばれ、売れる発明でなければ意味がない」ということです。
 この後彼は、株式相場表示器を発明し、これは投機ブームの世相にあって、実用化されていきました。

 現在では、自動投票装置も、アメリカ議会を始め、各国議会で採用され、日本の参議院でも、1998年から押しボタン式投票が始まりました。

 ところで、ついでに、「自動投票」に関して、別の新しい試みが、日本で初めて採用されましたので、付記しておきます。
 ※以下のレポートは、『中日新聞』平成14年6月22日版朝刊、『読売新聞』同6月23日版朝刊より構成。
 
 平成14年6月23日投票の、岡山県新見市の市長選挙・市議会議員選挙で、日本で初めて、電子投票による投票が行われました。
 投票所で投票用紙に候補者の名前を書くという方法と違って、次のように行われました。

  • 入り口で本人の確認(これは従来と一緒、事前に配布される入場券による)

  • 投票用紙のかわりに投票カードを受け取る。

  • 投票する場所に行き(今までと同じついたてによるしきりがあるところ)、従来の投票用紙を書くところにかわりに於いてある投票機に投票カードを挿入する。

  • 投票機の投票画面(コンピュータの画面)に並んでいる候補者の氏名を見て、自分の投票する候補者の氏名の部分を専用のペンで触れる。

  • 確認の部分を触れる。

 投票そのものは、銀行の自動支払機よりも簡単そうです。

 この後、投票結果は、それぞれの投票所ごとにコンパクト・フラッシュ(CF)に記録されて、開票所に集められます。どうしてオンラインになっていないかといえば、ハッカーなどによる侵入・改ざんを防ぐため、法律でオンライン化までは認められていないからです。
 電子投票に関しては、平成13年11月に国会で承認された「地方自治体電子投票特例法」に基づいて実施されます。この法律は、地方自治体に限って、条例を定めた上で、電子投票を実施することを認めています。
 
 当日の開票の様子は次のようになりました。

  • 20:00投票終了 各投票所で投票機からCFを抜きだし、開票所への搬送作業開始

  • 20:23最初のCFが開票所へ到着

  • 20:57最後のCFが開票所へ到着

  • 21:25開票開始宣言

  • 21:35集票機がCFの読み込み開始(作業員は二人)

  • 21:47CFの読み込み終了

  • 21:50電子投票の結果を発表

 これによれば、電子投票分の開票結果が出るまでは、わずか25分の速さでした。前回の市長・市議会議員ダブル選挙の時の開票時間が4時間半だったののに比べれば、格段のスピードアップです。電子投票に対する高齢者の方などからの不満をほとんどなく、全体的には大成功でした。
 時間的人的効率ということ以外でも、これまで判定に時間がかかっていた無効票や疑問票がなくなり、投票の正確さという点でも、大きな効果がありました。

 但し、不在者投票はこれまでどおりの手書きの投票であったため、その開票も従来どおりの方法で行われました。その結果、投票数は電子投票の約10分の1の数でしたが、こちらの方は、2時間かかりました。
 また、投票カードを挿入しても投票機が読み込まなくなるという投票機のミスが2件発生し、原因はわかりませんでした。それまで記憶されていた分(投票されていた分)については、問題はないでしょうが、若干の不安は残ります。
 
 さて、これが、国政レベルの選挙で実施されるかどうかです。
 大きく二つの問題点が指摘されています。

  • 国政選挙レベルでの実施となると、機械類のコストが高く、財政的な面から採用がしづらい。

  • 投票用紙が消えることへの不安、名前を書いてもらうことへのこだわりの声もある。

 以外と二つ目のことが、大きな心理的障害かもしれません。国会議員の先生方は、「何万人かの支持者が俺の名前を書いくれた」といった思いにこだわりたいのでしょう。
 まあ、わかる気もしますが、この際、乗り越えねばなりません。


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