ファーストフード店ということで、ハンバーグ、麺類、チキン、タコ焼き等いろいろ考えられたかもしれませんが、それならクイズにはなりません。
実はそのファーストフードとは、右の写真です。
正解は、岐阜県恵那市に本拠があるコロッケ専門店、コロちゃん株式会社です。
2004年3月25日、ケニアの首都ナイロビに、同社としてシンガポール、イギリスについで、海外3カ国目(店舗としては、海外6店舗目)を開店しました。
以下次の項目で説明します。
1 ケニア店の様子
2 コロちゃん株式会社とは
3 コロッケの歴史
4 岐阜市内のお店で
『岐阜新聞』2004年4月15日朝刊やコロちゃん株式会社のHPによると、ケニアのナイロビの店は、ビルの中にあるテナント型の店で、開店の日には、ケニア政府の外務大臣や在ナイロビ日本大使がテープカットに訪れるといったにぎにぎしいセレモニーがあり、招待客・一般客あわせて300人が訪れ、長蛇の列ができるという繁盛ぶりでした。なんと、1時間待ちだったそうです。
メディアの注目も集まり、現地会社約10社、日本のメディア4社が取材にやってきました。
アフリカのケニアと言っても、首都ナイロビは我が岐阜市なんかとは比べものにならいくらいの大都会で、家電製品や自動車など日本製品がいっぱいあります。
ところが、コロッケは、物珍しいかったようです。
「初めて食べたけどとてもおいしい。」
「ランチと言うよりおいしい軽食ね。」
といった好評の声が伝えられています。
ただし、課題もあります。
当初はジャガイモをはじめ日本からの輸入材料で作るため、価格が割高なのです。
コロッケ1個を約55ケニアシリング(日本円に換算して約83円)で販売していますが、ケニア庶民のランチ代は、ジュース代も含めて50シリングから100シリングで、コロッケ1個が55シリングでは、ちょっと高いというわけです。
同社は、やがて現地生産にして価格を半分以下に下げる予定とのことですが、成功か失敗かの分岐点は、現地のジャガイモを使って、安いうまいコロッケを作れるかどうかにかかっているようです。
ナイロビに進出したコロちゃん株式会社というのは、どういう会社なのでしょうか。
この会社の前身であった会社が、恵那市でコロッケ販売事業に乗り出したのは、1996年です。
社長は、小竹守さんといい、もともと茨城県生まれ、東京八王子育ちの方です。
東京の信用組合で働いた後、ご夫人の実家(岐阜県恵那郡上矢作町)に近い恵那市に住み、中津川市の信用組合に再就職しました。
そこを辞めた後、東海総合企画という会社を設立し、その一事業として、1996年から「コロちゃんのコロッケ屋」事業を立ち上げたのです。
その後順調にフランチャイズ店舗数を拡大し、2000年には、今のコロちゃん株式会社が誕生しました。 「揚げたてのアツアツのおいしいコロッケを」という思いが、会社を成功へと導きました。
現在のフランチャイズ店舗数は、北海道から沖縄まで44都道府県に600以上あります。
小竹社長には、当初から、アジアやアフリカなど、あまり食糧事情が良くない国々で、世界のどこにでもあるジャガイモを使ったシンプルでおいしいコロッケを提供することによって、「庶民の皆さんのお役に立ちたい」という熱い思いがあり、それが今度のケニア・ナイロビ出店となりました。
いわば、岐阜県恵那市発の「世界の庶民のファーストフード」を目指すという壮大な夢の通過点というわけです。
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中部経済新聞社編『素顔のけいざいじん2』(2003年)P333〜337 |
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同社の詳細の情報については、コロちゃん株式会社事業本部総務課のUさんから電話等で教えていただきました。 |
ケニアの人たちが「初めて」と言っていたコロッケですが、日本ではいつ頃から食べられ初めてのでしょうか。
もともと、ジャガイモは、新大陸で栽培されていたものです。
コロンブスのアメリカ到達以後、他の産物と一緒にジャガイモもヨーロッパに伝えられました。
日本語として使われているコロッケの語源は、フランス語の croquettes です。
しかし、フランスでは、具にジャガイモを使うと言う現在のコロッケとは異なり、肉や魚やエビなどをホワイトソースなどでくるんだものをフライにした料理として発達しました。ナイフで切ると、中からホワイトソースがとろりと溶け出すクリームコロッケです。
これは、現在の日本のコロッケの直接のルーツとは異なるようです。
むしろ、ヨーロッパでは、フランスではなく、ドイツやオランダで、肉入りジャガイモを使ったコロッケがつくられていたようです。
これらが日本へいつ伝わり、どう定着していったかは定かではありませんが、1917(大正6)年には、帝国劇場で上演された「ドッチャダンネ」という笑劇の中の劇中歌に、「コロッケの唄」が歌われ、これがヒットしました。(増田太郎冠者作詞)
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ワイフもらって 嬉しかったが
いつもでてくるおかずが コロッケ コロッケ
今日もコロッケ 明日もコロッケ |
大正時代の「3大洋食」として、コロッケ・カレーライス・トンカツが流行しました。
※江口圭一著『大系日本の歴史14 二つの大戦』(小学館 1989年)P115
岐阜市内には、現在5店のコロちゃんコロッケ店があります。
いくつか訪問して店長さんにお話を聞いてきました。
「結構お客さんが来てますけど、もうかりますか。」
「もうすぐ、お店初めて丸3年になりますが、こういう商売はすごくもうかるというものではありません。はっきりいって、ここの場合、このスーパーの集客に左右されています。
スーパーが元気いい時は、私の店もはやりますし、そうでない時は、まずいです。」
現在の5店は、すべて郊外に立地しています。
「岐阜市内には、以前は繁華街に出店した店もあったと記憶していますが、やはり、こういう形のほうがいいのでしょうか。」
「他店のことはわかりませんが、1個50円のコロッケですから、薄利多売の商売であることはおわかりでしょう。」
コロちゃん株式会社のHPには、新しくお店を始める人のための「試算表」が載っていますが、それによると、平均単価64円として、1日の売り上げ個数が450個で純利益223,584円、600個で317,211円となっています。
コロちゃんコロッケでは、普通のコロッケの値段は50円(消費税をプラスして53円)ですが、もっと付加価値の高いものもあって、その平均単価が64円と想定されているわけです。
※コロちゃん株式会社のHPはこちらです。
どんな商売も楽してできるわけはありません。
ファーストフーズ業界は、最も競争が激しい業界の一つです。すでに、たとえば、「コロッケ本舗コロマル」のように、後発会社も全国展開を始めています。
地元の企業が、世界に向かって夢を発信してゆくのを、応援し続けていきたものです。
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