現代日本経済の諸相4
<解説編>
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507 岐阜県の平成21年の路線価の最高値の場所はどこ?                  

 さて、このページは、2004(平成16)年に初掲載したものですが、読者の方から、「古くなってデータとして意味がない」との鋭いご指摘があり、今回新しく取材し直して、リニューアルするものです。次の項目で説明します。(クリックするとジャンプします)
 最高路線価の場所 
 2  最高路線価の場所の推移
 最高路線価の推移 



 最高路線価の場所   先頭へ

 バブル経済がなんだったか、それ以後の、失われた10年と呼ばれる悲しい時代が何だったか。
 その時代やそれ以後に生まれた生徒に、これをうまく教えることは、彼らが生涯生きていく基本的条件を教えるようなものです。
 年輩の教員としては、それができるように、今を理解していなければいけません。
 地価の推移は、格好の学習材料です。
 バブル期と現在とでは、地価は大きく違っています。岐阜市では、最高路線価の場所が、時代によって推移しています。これもまた、岐阜市の現状を学習する格好の材料です。
 では、
正解です。岐阜市内の最高路線価の場所は、次の写真の通りです。  


 写真507−01  岐阜停車場線通り 西側から撮影                (撮影日 09/08/08)

 2009(平成21)年7月1日に国税庁が公表した、平成21年度の岐阜県の最高路線価所在地は、岐阜市吉野町5丁目岐阜停車場線通り(つまり、岐阜駅前通り)です。
 この場所は、2006(平成18)年から、2007(平成19)、2008(平成20)、2009(平成21)と4年連続岐阜県第1位でした。


 写真507−02   岐阜停車場線通り 東側から撮影                (撮影日 09/08/08)

 東側から撮影すると、通りの西端にある岐阜シティ・タワー43が視界に入ります。手前の建築中のビルは、学習塾河合塾のビルです。 


 この通りが最高路線価の場所となったのは、2006(平成18)年です。それでは、その前はどこだったでしょうか?

 2  最高路線価の場所の推移     |先頭へ

 ここで、岐阜市内の最高路線価格の推移を地図に示してみます。現在の最高路線価地点は、地点です。 


上の地図は、グーグル・アース(Google Earth home http://earth.google.com/)の写真から作製しました。

  ※この路線価は、毎年7月発表されています。(2007(平成19)年までは8月発表)
    各新聞を探せば必ず掲載されていますが、昔のものを調べるには、次のサイトが便利です。
    税理士法人FP総合研究所 →http://www.fp-soken.or.jp/(「資産税情報FPnews」にあります。)

 
 あとで詳しく説明しますが、岐阜市内の最高路線価地点は、と柳ヶ瀬方面から岐阜駅方面へ次第に南下していることがわかります。
 柳ヶ瀬は言わずと知れた、昔からの岐阜市の繁華街です。
 そこの地価がトップの座から滑り降り、その後は次第に駅の方へ近づいていく。しかも、この4年間は、東海道線で名古屋駅まで僅か18分の岐阜駅前が最高地点となりました。JR駅前そのものに魅力があるのでしょうか?
 いや残念ながらそうとは考えにくいです。
 
これは、極端に言えば、岐阜市そのものが魅力を失って、単なるベッドタウン化しているということに他ならないのではないでしょうか。そうだとすれば、残念至極です。 


 ちなみに、この場所が第一位となる以前、2005(平成17)年までは、地図01の地点、つまり次の写真の場所が長く最高路線価地点の栄冠を保っていました。

 写真507−03 旧パルコ前                          (撮影日 02/10/26)

 今はなき、名鉄岐阜駅前パルコです。


 地図01の地点が、1993(平成5)年から2005(平成17)年までの13年間、岐阜市の最高路線価格の場所でした。つまり、長良橋通り(神田町通り)の新岐阜駅前・パルコ前の場所です。
 正確に言うと、平成16年8月2日の岐阜新聞夕刊によれば、「岐阜市神田町九丁目の長良橋通り」です。
 ところで、税務署の発表は、以前はもっと具体的な言い方でした。
 平成14年8月2日の岐阜新聞夕刊によれば、「岐阜市神田町9丁目(パルコ岐阜店前交差点ー大塚ビル前交差点の長良橋通りの西側」となります。
 さらに、1999(平成11)年までは、新聞発表上の表現は、「
フルーツ前田前長良橋通り」となっていました。
 「
フルーツ前田」というのは、パルコビルに合体して、パルコの玄関の南側に隣接して存在していた果物屋さんです。
 表現は少し違いますが、パルコから少し北にかけての一帯が、1993年から14年連続、岐阜県の地価ナンバーワンの場所だったというわけです。
  

  写真507−04 フルーツ前田    (撮影日 02/10/26)
 在りし日の「フルーツ前田」。パルコビルと合体していた。   

写真507−05現在のパルコ跡(撮影日 09/08/08)

写真507−06 パルコ跡 (撮影日 09/08/08)

 かつてパルコがあった、長住町通りと長良橋(神田町)通りの交差点(名鉄岐阜駅前交差点)は、今現在では、パルコ跡の空間がぽっかり空いた、「ゆとり」の交差点となっています。左の写真の右端の建物は十六銀行本店ビルです。フルーツの前田は、跡形もありません。どうなってしまったのでしょうか? 

 写真507−07 旧パルコ跡南隣(撮影日 09/08/08)  写真507−08 旧パルコ跡南隣(撮影日 09/08/08)

 これはご近所の方に聞く他はないと思い、適当な店を探しました。すぐ南隣のビルの2階に、レストラン厨亭(くりてい)という大変上品なお店があり、とても上品なビジネスランチを食べながら、そこのマスターにいろいろと聞きました。
   ※写真507−06は2階への入り口です。

「マスタ−、ここのお店は、開店されてから何年になりますか?」

「そんなに古くない。7年目だね。」

「7年なら、開店の時はまだパルコはやってましたよね。」

 主

「もちろん」 

「ここらはその頃、税務署が地価の発表をすると必ず岐阜県一で、新聞に載りましたよね。」

 主

「そうそう、となりのフルーツ前田さんね。」 

 私

「そのフルーツ前田さんですが、どうなりました?」 

 主

「あのお店は、パルコとビルと一緒になっていたから、おととし(2007年)パルコと一緒に壊された。」 

 私

「そうですか。
ところで、全く関係ない話ですが、このビルの3階に、「山勝歯科」さんってありますが、この山勝というのは、あの百貨店の山勝ですか?」 

 主

「そうそう、山勝歯科さんは、もともと先々代がパルコの前にあった山勝百貨店の中で営業されていたので「山勝歯科」という名前になったんだけど、パルコになって、こちらのビルへ移ってきて、台が代わっても、その名前で続けておられる。」 

 岐阜パルコは、1976年9月23日の開店です。それまでは、山勝百貨店というのが立っていました。思わぬところで、山勝の名前が歯科医院に受け継がれていることがわかりました。
 また、レストラン厨亭や山勝歯科の入っているビルの北側の壁には、昔隣に2階建て民家が会ったことを示す痕跡があります。パルコはビルでしたから、この痕跡は、それ以前のものです。
 実は、他のウエブページを調べたら、山勝百貨店が1970年に大改装される際の写真にも、その壁の痕跡がありました。
   ※「岐阜の街のいろいろ館」 http://www.geocities.jp/kojiro_railway016/index.html

     問題の写真はこちらのページにあります。
       1970年の山勝ビル建て直し:http://www.geocities.jp/kojiro_railway016/19701000002yn.jpg
       1965年の様子:http://www.geocities.jp/kojiro_railway016/19650905002yn.jpg
                               
 全くの想像ですが、昔から一戸建てで営業していた「フルーツ前田」屋さんが、1970年の山勝ビル建て直しで、建物が合体し、そのままパルコに受け継がれたと考えられます。ちょっと横道にそれました。

 下の写真は、岐阜シティ・タワー43の屋上から撮影した、岐阜駅と名鉄岐阜駅周辺です。


 写真507−09 岐阜駅前通り 岐阜シティ・タワー43の展望室から        (撮影日 09/08/08)

 整備中だった岐阜駅北側広場もほぼ完成に近づきました。 


 写真507−10  長良橋通り 名鉄岐阜駅前                  (撮影日 09/08/08)

 JR岐阜駅1番ホームから撮影した長良橋通りです。かつて両側に並んでいた、新岐阜百貨店もパルコもありません。


 それでは、最高路線価の場所がどこであったか、時代をさかのぼります。
 フルーツ前田の前は、ずっと昔から1992年まででした。つまり、柳ヶ瀬通りビクタービル前です。 


 写真507−11 柳ヶ瀬通入り口                       (撮影日 09/08/08)

 土曜日午後の柳ヶ瀬通。真ん中を自動車が走っています。いくら人がいないからといって、いくら許可されている車両だからといって、そんなにスピード出して走るな、っちゅうの。


 写真507−12 柳ヶ瀬通中心部 (撮影日 09/08/08)

 写真507−13 ビクタービル前(撮影日 09/08/08)

 わざと人を避けて撮影しているわけではありません。柳ヶ瀬通りの通行者は本当に少なくなりました。ビクターは以前はレストランでしたが、今は洋品店と居酒屋となっています。


 最高路線価の推移先頭へ

 ここでちょっと土地の価格について、説明します。
 公的機関が公表する地価にはいくつかの種類があります。ここで話題にしているものを二つ説明します。

@地価公示価格(公示地価)

 これは、一般の土地取引の指標として国土庁が発表します。全国3万地点ほどを国土庁の土地鑑定委員会が判定して決定します。これを補完し、都道府県知事が各自治体の機関に判定させて公表するのが、基準地価です。価格の決め方は同じ性格のものです。いずれも、公共事業の適性補償金額算定基準にもなります。

   

A路線価格

 これは、相続税・贈与税・地価税の課税のための規準として、国税庁が公表します。道路に面した1平方メートルあたりの土地の評価額で地価公示価格をベースに、売買実例や不動産鑑定士らの意見等を参考に、全国40万地点以上について調査公表します。公示地価のほぼ80%の水準となります。1992(平成4)年からバブル期の地価高騰への対応策として新しく地価税が導入され、それにともなって、この路線価格も、それまでの公示価格の70%程度から引き上げられました。また、評価の精度を上げるため、この時から調査対象地点も前年の17万地点から39万地点へ拡大しています。

 ここでは、このうちAの最高路線価格を話題にしています。
 岐阜県内における最高路線価格の推移をグラフにすると、次のようになります。

 日本全体の最高路線価のグラフへ |

 このグラフから読み取れること。
  1 バブル期の急激な地価上昇
  2 バブル崩壊後、13年連続の長期の下落
  3 2007年から上昇に転じたものの、2009年は不況によりまた足踏み

 路線価格が最高だったのは、1992年。2009年の46万円の9倍以上の424万円でした。この時は、1万円札の大きさの土地を買うのに、約5万円が必要だったことになります。
 1992年の最高値の場所は、パルコ(フルーツ前田)前ではなく、柳ヶ瀬通のビクタービル前です。 


 以下は路線価格が報道された時の、朝日新聞・岐阜新聞の見出しから抜粋した、その時点での「特徴」です。
 1980年代に入り、ようやく2度目の石油危機から立ち直った日本経済は、輸出大国として外貨を稼ぎ、やがて、1985年のプラザ合意以降、バブル景気の時代に入ります。
 そして、バブルの崩壊。
 株価は1989年の12月に最高価格を記録したあと、1990年の年初から下落しはじめます。この時がバブルの崩壊の始まりです。
 しかし、地価は、それに少し遅れて反応しています。また、路線地価の算出の方法が変わったため、1992年の上昇は見かけ上のもので、実質的には、1992年から値下げが始まります。  


年度 掲載日 岐阜新聞の記事の見出しより
 1980 01/18 平均11.8%、土地高騰一段と、新宿で11.8%、列島改造後の6年間では最高 
1981  01/17 平均11.7%、上昇率7年ぶり2桁台 
 1982 01/15 平均11.5%、2年連続2桁 

1983

 01/22 平均7.9%、上昇率3年ぶり1桁 

1984

01/22

平均6.6%、2年続けて1桁、地価上昇鈍化

1985

01/22

大都市で急上昇、地下整備など影響、東京・大阪20%を超す

1986

01/22

ビル需要急騰、東京・大阪30%を超す、銀座15年ぶり日本一、全国平均10.5%4年ぶり2桁

1987

01/22

6都市50%を超す暴騰、全国平均19.6%上昇、銀座79.2%

1988

01/22

7市で50%を超す上昇、横浜91%、千葉77%、平均23%で列島改造時に匹敵

1989

01/28

最高路線価平均38.7%上昇、地方中核都市で突出、東京マネーの拡散を反映、東京は高値安定

1990

01/19

地県庁所在地路線価、28.7%値上げ、東京は16%、地方都市で大幅上昇

1991

01/22

最高路線価史上第2位、平均38%値上げ、鳩居堂6年連続日本一 

1992 08/31 平均路線価全国平均5.8%上昇 新税で初の算定基準 実質は7.4%ダウン

1993

08/18

平均路線価18.1%ダウン 地価下落、地方にも波及 岐阜県は4.9%減

1994

08/18

平均路線価16.6%下落 2年連続二桁 大都市圏ほど顕著 岐阜県5%ダウン

1995

08/18

平均路線価13.3%下落 東京圏ピークの半額 県平均5.3%下落

1996

08/19

平均路線価、4年連続ダウン 全国平均13.5% 地方圏で急落 県下6.7%の下落

1997

08/18

平均路線価、5年連続下落 大都市圏下げ鈍る 県内は5.2%減

1998

08/17

平均路線価、6年連続ダウン 下落率5%に縮小 県内は4.3%下落

1999

08/04

平均路線価、7年連続ダウン 下落率再び拡大 7.1%景気低迷を繁栄 県内8%下落

2000

08/04

平均路線価、8年連続下落 全国平均7.0%減 県内6.2%下落

2001

08/03

平均路線価、9年連続で下落 全国平均6.2% 県内6.7%下落 地域で二極化鮮明に

2002

08/02

平均路線価、10年連続下落 全国平均6.5% 3年ぶり拡大 県内10%下落大幅拡大

2003

08/01

平均路線価、11年連続下落 全国平均6.2% 32都道府県で拡大 県内は7.9%下落

2004

08/02

平均路線価、12年連続下落 25県で下げ幅拡大 県内前年比8.6%下落

 2005  08/01 平均路線価、13年連続で下落 全国平均5.0% 大都市圏では下落に歯止め  
 2006  08/07 平均路線価14年振り上昇、3大都市圏プラス、全国平均0.9%上昇、岐阜県最高岐阜駅前へ 
 2007  08/06 平均路線価、2年連続8.6%上昇  
 2008  07/07 最高路線価は23年連続銀座鳩居堂前、平均路線価3年連続上昇
 2009  07/01 平均路線価、5.5%下落、4年ぶりに下落、世界同時不況の影響、銀座鳩居堂前24年連続最高 

508 このビルが日本一の理由は?                 

 この問題は、あまりいい問題ではありません。ヒントも今ひとつで、どちらかというと、「知識・理解」系問題です。授業ではこのビルの写真を利用するなどして、もう少し、うまくやらなければなりません。

 このビルは東京銀座4丁目と5丁目「の交差点(銀座通り=中央通りと数寄屋橋から来る晴海通りの交差点)の角から、一つ横のビルで、一階には、
鳩居堂(きゅうきょどう)という高級文具店(和紙で作ったレターセットなどの専門店)が入っています。(住所は正確には、東京都中央区銀座5丁目)
 このビルは何で日本一なのでしょうか?

 
正解。正確にはこのビルの前の土地が、路線価格が24年連続日本一なのです。 


 この交差点は、地方の人にもお馴染みの、普通の「銀座の風景」というとすぐにTVなどに登場する交差点です。サントリーの響という広告のある手前のビルは、三愛ビルといいます。
 この写真ではわかりにくいですが、ビルの3階・4階部分にTV受像器があって、ワールドカップサッカーの時もそうでしたが、銀座をゆく人々がニュースを見上げるというあの光景のビルです。

 
鳩居堂は、その隣の茶色のビルです。
 
 銀座通りの下を通る
地下鉄銀座線の銀座駅は、このすぐ下にあります。
 私が東京へ来るといつも土産に買っていくことになるおいしいあんパンの木村屋さんは、交差点を挟んで三愛ビルと反対側にあります。

 さて、この写真ですが、2002年11月14・15日の出張の際に、交差点の対角側のビルから撮ったものです。
 このホームページに写真を載せるようになって、少しでもいい写真をという、ちょっとしたカメラマンの気分も分かってきて、最近はいろいろ人しれない苦労をしています。

 写真508−04  銀座鳩居堂 (撮影日 02/11/15)

  このホームページに写真を載せるようになって、少しでもいい写真をという、ちょっとしたカメラマンの気分も分かってきて、最近はいろいろ人しれない苦労をしています。
 このビルも、路上からの写真では、絶えることのない人・車が大量に入ってしまい、今ひとつの感じでした。
 そこで、目につけたのだこの場所です。
 実はこの写真は、交差点の角にある、
三越百貨店銀座店の7階から写したものです。
 
 「あそこからならいい写真が撮れそうだ」と、下から百貨店の角を見上げて、壁面の窓になっている部分を探しました。特に百貨店はそうですが、ビルといっても、窓や開口部がないビルにはいくらのぼっても、いい撮影場所はありません。

 7階に行くと、そこは、食堂でした。ちょうど昼時で、混雑しており、「窓際の席がいい。」と頼んで、少し待って無理矢理座りました。すぐに撮影は成功。
「ご注文は」とウエイトレスが来て、気が付きました。
「そうか、このまま写真だけというわけにもいかないな。」 

 ところが、メニューを見て少しびっくり。
 さすが銀座の百貨店です。一番最低の値段のものでも、「ランチ」が1200円なりです。

 実は、この時の出張は家計の関係で、非常に貧乏旅行になると予想されたので、第1日目の昼食にしては・・・、と思いましたが、仕方ありませんでした。
 (恥ずかしながら、結果的には、30000円+新幹線往復キップしか持っていけなかったこの出張では、翌日深夜帰り着くと、持ち金3500円という、すれすれ状態でした。(--;) 

 写真508−04 鳩居堂前 (撮影日 09/08/08)


 さて、問題は、この鳩居堂前の路線地価です。
 次はこの30年間の全国の最高路線価、つまり東京の最高路線価の推移を示したものです。 

  岐阜県の最高路線価のグラフへ |

 1992年には、路線地価の算出の方法が変更になっていますので、実質的には、1992年は、1991年よりも減少しています。


 このグラフのポイントは、次のようになります。

  • 銀座鳩居堂前の銀座通りは、2009年で路線地価24年連続日本一

  • 1平方メートル当たり 3120万円

  • 2008年の3184万円よりは、2.0%減少し、9年ぶりに下落。これは、世界同時不況の反映。しかし、それでも、この数年間地方が低迷する中で地価はかなりの率で上昇。この2年間の3000万円超は、バブル期末期以来。上の岐阜市の最高路線価の推移グラフ↑と比較すると、東京都心がいかに早く回復しているのかがわかります。

 クイズ507と508は、地価を通じての現代社会の学習です。
 アメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況を思うと、人間の反省のなさは、誠に情けないとしか言いようがありません。「バブルに踊らされる」という危険は、忘れた頃にやってきます。
  ※バブル経済については、目から鱗の話:「バブル経済」に詳しく掲載しています。


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