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名鉄揖斐線・廃線物語 叙情的写真集05 
 尻毛橋 −サッカー−
旦ノ島−尻毛 尻毛橋梁 (撮影日 05/02/06)

 説明は、前の写真の続きです。鉄橋と土手の部分について説明します。

 ここが、鉄橋ではなく土手の部分です。
 ご覧のように、この部分の堤内地は、よくあるパターンのグランドになっています。近くの城西小学校少年団のサッカーチームのホームグランドで、土日や休日は、サッカー少年少女でにぎわいます。

 さて、鉄橋が土手に変わった理由です。堤内地で畑仕事をしていた老人が教えてくれました。

老人

「あんたな、昔はこれが全部鉄橋だったことは知っとりんさるかな。」

「ええっ、そうなんですか。知りませんでした。どうして土手になったのですか。」

老人

「わしの子どもの頃は、全部鉄橋じゃった。けんど、戦争中に、ほれ、金属の供出ってのがあったじゃろ。」

「はいはい、鉄とか銅とかが不足して、鍋釜や、お寺の鐘が生産用に供出されましたし、TVでいつか言ってましたが、甲子園球場の鉄屋根も撤去されたとかいうやつですね。」

老人

「よう知っとりんさる。その金属供出でな、この鉄橋も半分近く取られたんじゃが。」

「なるほど、今グランドになっている東側は、よほどの増水でもない限り水は流れないわけだから、土手にしてしまっても、川の水をせき止めることにはならないと判断されたんでしょうね。」

老人

「詳しいことは、わしゃ知らん。
 とにかく、電車止めるわけにはいかんのでな、土を積んでは、夜のうちに鉄橋から土手に線路移し替えてというふうに、順番にやっとたがな。そのころは、機械はありゃせんから、たくさんの人がはたらいとった。

 それから、あのころは、電車は朝も夕も昼も満員じゃった。」


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