中国起源の「羅針盤」は、イスラム世界を経て、ヨーロッパに伝わります。
ヨーロッパで「羅針盤」について書かれた最も古い本は、スコットランドの修道院の僧アレグザンダー・ネッカム(1157−1217)が残した、『自然について』について』です。1187年に書かれました。
それによると、イギリス海峡を渡る船は、航海中、視界が悪いときは、水を張った容器に磁石を入れたアシの一片を横たえる、するとこのアシ片は水面を泳ぐ最後には北の方を指す、とあります。
※参考文献C P75
この時点、つまり、12世紀後半には、アラビアを経由して、すでに中国式の初歩的な「羅針盤」がヨーロッパにも伝わってきていました。
これが地中海で改良されていきます。
磁針を水に浮かべる不安定なものから、やがて、水を使わず、上下からピボットで支える乾式の「羅針盤」へと改良がなされました。さらに回転をスムーズにするために、ピボットがひとつになり、また、方角がすぐわかるように12または16の方位を描いた「風配図」(コンパスカード)がつけられ、さらに、持ち運びが便利なように、箱に入れられたものとなりました。
これが、13世紀から14世紀にかけてのヨーロッパにおける「羅針盤」の改良です。
地中海では、特に、1270年から1280年ころに普及したと考えられています。
この改良と普及によって、例えば地中海のヴェネチアの船の航海は画期的に進歩しました。その様子は次のようなものでした。
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「13世紀、地中海を航海するヴエネツイアをはじめとする諸国は、考案されたばかりの磁気コンパスを船に搭載するようになつた。もう冬が過ぎるまで陸で待機する必要はなかった。磁気コンパスが登場する以前、ヴエネツィアの船隊は東方へ行くときには冬を避けて航海の時期を設定していた。第一便は復活祭のころに出航し、九月までに帰港する。第二便は八月に出航し、目的地の港で冬を過ごして、故郷ヴエネツィァヘは五月に帰ってくるのだ。だが磁気コンパスが導入されると、ヴエネツィアの船乗りは科学にもとづいて航海するという贅沢を享受するようになり、時間を問わず方位を正確に知ることができたし、推測航法(航行した速度と時間を見積もり、磁気コンパスの磁針が示す方位にしたがって船の位置を測定する方法)を使えば、沖合でおよその船の位置を割りだすこともできた。磁気コンパスが革新をもたらした結果、ヴェネツィアの船隊は年に二度の往復が可能になつた。また、海外で越冬しなくてもすむようになつた。航海に磁気コンパスを使うようになつてからすぐ、ヴエネツィアはさらなる好景気に沸いたのである。」
※前掲参考文献@ P136 |
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この状況を理解するためには、地理で学習する地中海地域の気候、つまり、地中海性気候の特色がわかっていなければなりません。
右図を見てください。
日本と違って、地中海の気候は、春から夏にかけては雨がほとんど降らず、秋から冬にかけては比較的降水量が多い気候です。(といっても、全体の降水量はにほんとは比べものにならないくらい少ないですが・・。)
ということは、「羅針盤」がなく、太陽や星を見て船の位置を確認していた時代においては、雲が多く雨が降る秋から冬にかけての地中海は、とても航海しづらい海でした。
そのため、上の引用文にあるように、夏にヴェネチアから東方へ向かった艦隊は、目的地で冬を越し、5月になってヴェネチアへ戻ってきました。
ところが、「羅針盤」の登場によって、冬でも方位が確認できるようになったため、1年に2度の航海が可能となったのです。
次に、ヨーロッパに於ける羅針盤の改良の時期について確認です。
世界史の教科書の記述では、「羅針盤」は「ルネサンス」の「科学と技術」の説明の所に記述されています。しかし、地中海における「羅針盤」の改良は、12世紀から13世紀にかけてのことです。
初期イタリアルネサンスを代表するダンテの生没年が1265−1321で、彼がかの『神曲』を著述を開始したのは、1305年のこととされています。したがって、「羅針盤」はいわゆるルネサンスの時期より、はやく改良(ヨーロッパ的には発明)がなされていたわけです。
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ちなみに、 ダンテの『神曲』にも、「羅針盤」のことが出てきます。
「すると新たな光の一つの中心から声が聞こえ
私はそちらを振り返った
まるで北極星の位置を指す針のように」
比喩的な文章ですが、「羅針盤」を示しています。 |
したがって、「羅針盤」の位置づけは、次のように、通説を修正して理解するのが、より真実です。
「 ふつう、「ルネサンスの三大発明」とよばれる技術がある。活版印刷、火薬、羅針盤である。これに、機械時計をあわせ四大発明ともいう。そう信じられてきたが、じつはグーテソベルクの印刷術をべつにすれば、それらの発明はルネサンスよりもはるか以前の十二、三世紀に、ヨーロッパ各地で野心ある職人たちによって達成されていた。しかも、確証に欠けるとはいえ、東方の
地中海イスラーム世界からのヒントによって、改良や実用化がすすんだものである。すでにルネサンス時代には、卓抜の職人がその技術をマスターしていた。火薬は、大砲に、ついで鉄砲にとりいれられた。羅針盤は地中海から、やがては大西洋に進出するだろう。時計は、もう都市の広場で公共の用に供されていた。」
※前掲参考文献 BP178
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