現物教材 日本史19

中世 002 中世コインセット                        |現物教材:目次:日本史

 日本の古代政府は、10世紀前半に、結果的に皇朝12銭の最後となる乾元大宝を鋳造して以降、貨幣の鋳造をやめました。
 この次に貨幣鋳造を計画したのは、建武政権の後醍醐天皇でしたが、政権が短命に終わり結果的に実現されませんでした。
 その為、次に豊臣秀吉が金貨を鋳造するまで、古代末から中世のおよそおよそ600年間、日本政府が鋳造した貨幣というものは存在しませんでした。

 その間、国内で貨幣が使われなかったわけではありません。
 特に鎌倉時代後半以降、地方でも手工業が発達すると、地域間やあるいは遠隔地間で商業が発達し、交換手段として貨幣の使用が広がっていきます。
 そして、この時代に使用されたのが、最初は宋から輸入された宋銭、14世紀以降は明から輸入された明銭でした。
 
 宋銭や明銭を授業で学問的にどのように扱うかは、クイズで説明します。
  ※クイズ鎌倉〜戦国時代「鎌倉時代の初期に通貨に関して出された命令は?」へ
 
ここでは、生徒が喜ぶ逸話の方を紹介します。


まずは、宋銭です。

 これはインターネットのオークションで購入した、宋銭100枚(プラスおまけ3枚)です。当時も大きな取引では、100枚ずつにした束を10個、つまり、1000枚を単位に使用されていましたから、このぐらいの量がないと、臨場感?がありません。
 しょぼい現物は、授業のプラスにはなりません。「
現物は生徒を驚かすものを」、これが地歴公民科の授業の「現物使い」の哲学です。

 購入価格は、2300円。1枚23円です。
 オークションの大量買いだからこの価格でしたが、普通のコインやさんではもっと割高になるはずです。


次は明銭です。 

 左は明銭の代表永楽通宝、コイン屋さんで1枚500円。
 右は同じく明銭の洪武通宝です。インターネット・オークションで「中国銭のたくさん」というのを買いました。39枚で1000円でした。


<生徒に話す、授業の本題からはそれた、いわば教養の話>

○その1 匁(もんめ)、貫(かん)、つまり重さの話

教師

「現在の5円玉の1個の重さを知っていますか?」

生徒

「1円玉は1個1グラムって話は聞いたことがあるけど、5円玉はわかりません。5グラム?」

教師

「いえ、5円玉1個の重さは、3.75グラムです。」

生徒

「どうしてそんな中途半端なのですか?」

教師

「キログラム、グラムの単位で示すと中途半端だが、実は昔の日本の単位でいうと、ぴったりの重さです。その説明をしましょう。
 以前、律令制のところで、長さや面積や容積の重さの学習をしましたね。昔の単位でいうと、長さは何ですか。」

生徒

「寸と尺。一寸法師はやく3センチ。」

教師

「よろしい。では、昔の日本の長さと重さの単位をまとめていう場合、尺という字を使って、○○法といいますが、何でしょう?」

生徒

尺貫法ですか。」

教師

「正解です。その貫という重さの単位とこの1円玉がつながります。ところで、太った人を悪く呼ぶ言い方、私たちの子どもの頃はよく言いましたが、現代の皆さんは使いますかね?」

生徒

「知ってる、百貫デブ。」

教師

「そうです。その百貫で、何キロぐらいでしょうか?」

生徒

「百キロかもっと。」

教師

「さて、そこで、最初に言ったこっとがつながります。
 実は5円玉の重さは、その昔の、銅銭1枚の重さと同じなのです。つまり、銅銭1枚は3.75グラムでした。
銅銭1枚を日本では、1文(もん)と数えると同時に、その重さを、1匁(もんめ)としたのです。
 そして、銅銭100枚ずつ束にして10個集めたものを1貫として、取引に使っていました。
 つまり、貫は、銅銭1000枚であると同時に、1000枚分の重さを示す単位でもあるのです。貫は、何キログラムですか。」

生徒

「3.75グラム×1000=3.75キログラムです。ということは、百貫デブは、体重375キロの人ですか?
 これはありえない?ギネス級だ。」

教師

「匁という単位は、唐の時代の621年に開元通宝という銅銭が作られた時、当時の唐の単位で、2.4銖(しゅ)と定められした。
この「銖」というのは、中国の古い単位で、黒キビという細かい穀物100粒の重さだったそうです。これが唐時代は、グラムで言うと、1銖=1.56グラムでした。
 したがって、2.4銖は1.56×2.4=3.75グラムということになります。
 この重さは、中国の宋の時代には、重さの単位として定着しました。
 実は皇朝十二銭は、だんだん小さくなっていってしまうのですが、中世の宋銭や明銭の輸入・利用によって、この3.75グラムが公式の重さとして定着しました。
  「匁(もんめ)」は、はじめは「文目」と表現しました。そのうち、銭というのを表現するのに使っていた、泉の略字であった匁を記号として使うようになったのです。銭と泉は、発音が同じなので、より簡単な泉のしかも略字が使われたというわけです。
 もちろん、
江戸時代の寛永通宝も、同じ重さです。」
 ※石川英輔著『ニッポンのサイズ』(淡交社 2003年)P58などより 

生徒

「尺貫法は、いつまで使っていたのですか?」

教師

「尺貫法は、1891年に正式に制定され、1959(昭和34)年に取引などに使用することが禁止されました。」

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 宋銭100枚を計量すると、325グラムしかありません。まあ、腐食して重量が減っていますから、やむ得ません。

 5円玉100個の重さは、本当に375グラム。さすが造幣局です。(当たり前か)


<生徒に話す、授業の本題からはそれた、いわば教養の話>

○その2 文(もん)、つまり足の長さの話

教師

「百貫デブより、もっと皆さんには、なじみがないかもしれませんが、ジャイアント馬場というプロレスラーの16文キック。」

生徒

「しらない。」(クラスでほんの数名が知っている。男の子は意外と知っている。)

教師

「もう亡くなってしまいましたが、アントニオ猪木がデビューする前は、日本を代表するプロレスラーといったら、ジャイアント馬場さんでした。
 この人はとても伸長が高く、2メートルほどありました。
 そして、背の大きい人にはありがちですが、足もとても大きかったのです。
 その大きな足を利用した彼の得意技のキックを、マスコミは、
16文キックと表現したのです。文というのはわかりますか?」

生徒

「しらない。」(ほんの数名が知っている)

教師

文というのは、昔の足の長さを示す単位です。今なら26.5センチというところを、11文などと表現したのです。したがって、靴や足袋のサイズも文を使いました。
16文キックというのは、ジャイアント馬場の足のサイズです。
 それが、またまた、今学習している銅銭と関係がある。」

生徒

「わかった、1文は銅銭の大きさ。」

教師

「どういう大きさ?」

生徒

「銅銭の直径。」

教師

「正解です。
 その1で説明した、
唐の開元通宝は、直径8分で作られました。分(ぶ)は、寸の10分の1の単位です。1寸が約3センチですから、8分は2.4センチとなります。これが銅銭の直径です。」

生徒

「すると、そのジャイアント馬場さんという方の、16文というのも、途方もない大きさですね。」

教師

「そうです。2.4センチ×16ですから、16文は38.4センチです。しかし、本当はそんなになかったという話もあります。」

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 左は、永楽通宝3枚分と普通の定規、確かに、1枚2センチ4ミリほどです。
 右は、16文の靴です。もちろん本物ではありません。左端の30センチ定規、永楽通宝16枚、普通のVHSのビデオテープは本物です。靴は、三男Yの靴を、画像上、16文に拡大したものです。ジャイアント馬場さんが、本当にこのような、VHSテープ約2個分の長さの靴を履いておられたかは、わかりません。まあ、話のついでです。