現物教材 日本史16

近代 014 陶磁器製代用品                     |現物教材:目次:日本史

 太平洋戦争後半期の金属欠乏の状況の中では、数々の陶磁器製代用品が作られました。
  ※戦時統制経済、金属回収などについては、クイズ日本史太平洋戦争期をご覧ください。
 
 これは、そのうち、陶製手榴弾です。
 各地の資料館・博物館等に展示されていますので、比較的数が多いものです。私は、ヤッフー・オークションで、2100円で落札しました。(ちょっと高めですね。(-.-))



  この写真の陶製手榴弾には、上部の穴のところに挿入されていた、起爆装置(信管)の部分はありません。

 手榴弾というものは、どの国の軍隊も歩兵の基本的な装備の一つとして広く使用していました。日本軍の手榴弾も複数ありますが、下の模型はその一つ、日本軍97式手榴弾です。
 起爆装置(信管)とか何とかが分かりずらい方は、下の説明を参照してください。


 ちなみに、このプラモデルは、「ARII」(アリイ)というプラモデル会社の「COMBAT SETS」シリーズの中の一つで、600円ほどで入手できます。私は、プラモデル屋さんまで行くのが面倒なので、ヤッフー・オークションで手に入れました。

 本物は全長10センチ、重量450グラム。火薬はピクリン酸火薬60グラム。

 金色の部分が「雷管打撃式遅延信管」と呼ばれる信管です。使用しないときは誤爆しないように、ピンが安全装置になっています。

 使用するときは、ひもを引っ張ってピンを抜き、金色の先の部分を何かがゴツンとぶつけると、信管が作動します。この信管は、4〜5秒の遅延信管ですから、その間に敵に向かって投げつけ、敵のところに届いた時に、ちょうど爆発する仕組みです。

 アメリカ軍のも同じ仕組みです。
 ブルース・ウィリスの映画「ダイ・ハード2」(ニューヨークの空港でテロと戦うやつ)では、輸送機のコックピットにいるブルース・ウィリスに向かって、手榴弾が山のように投げられます。映画ですから、なかなか爆発せずに、彼は非常脱出装置(座席ごとポンと飛び出すやつ)で、みごと脱出するのですが、あれは、起こりえませんね。爆発までが長すぎます。    


 陶製手榴弾は、名古屋の瀬栄陶器という会社が初めて作り出したということだそうです。この会社は、大日本防空食料株式会社が発明した防衛食器(磁器製で金属の缶詰容器匹敵する機能を持つ)を生産していましたが、陶製手榴弾をも開発し、海軍から受注を受けて生産を開始したということです。
 
 そのあと、少なくとも、瀬戸(愛知県)・有田(佐賀県)・波佐見(佐賀県)・備前(岡山県)・信楽(滋賀)では、陶製手榴弾が多数製造されています。
 ※有田での生産については、有田町歴史民俗資料館・館報「皿山」No50をどうぞ。
   直接説明している部分はこちらです。
 ※信楽での生産については、大谷陶器のサイトに解説があります。
   信楽では、地雷も生産されていました。

 上の写真の手榴弾がどこの産地の製造かは確証はありませんが、焼き物の土質からみて、信楽産と備前産ではないようです。爆薬と起爆装置は、海軍の別工場で製造されました。


 これが実践に配備されたことは、沖縄県の資料館に展示されていたり、硫黄島にも戦後まで残留していたという記録があることから明らかです。
 
 しかし、鉄ではなく、陶器による手榴弾がどのくらい、威力があったのかは、詳しい記録は残っていません。

 陶磁器製代用品の現物は、手榴弾しか持っていませんが、ほかには次のようなものがあります。


陶製カフス・ボタン

陶製栓抜き

陶製アイロン

陶製水筒


 これは、岐阜市のJR東海道線岐阜駅の高架下に新しくできたハートフルスクエアーG内にある、平和資料室に展示してあるものです。
 ※ハートフルスクエアーGのウェブサイトはこちらです。
 
 この資料室には、岐阜空襲関係の資料も展示されています。またいつか紹介しようと思っています。