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 39 女、妻、母Z それぞれの春        11/03/27

 3月初めのある日曜日の朝の会話。

「ねえねえ、来年も、このカレンダーにして。」

「これは去年はうまく学校から譲ってもらったけど、そう簡単には手に入らない。」

「それなら、得意の才能を生かして工作で作って。」

 このカレンダーというのは、下にあるような、1年分がまるまる1枚に描かれていて、メモができるもので、学校では、進路指導関係の部署等によく使われているものである。昨年は、ある学校から「必要がない。捨てる。」といわれたので、それをもらってきた。

 2010年4月から2011年3月にかけての我が家の計画表。これは確かに便利だった。ちゃんと記入すれば、先の先まで、一目で分かる。


 特異な才能を生かしてと 言われれば、引き下がるわけにはいかない。
 早速、職場から1年間使われずに期限切れで必要がなくなったポスターを2枚もらってきて、それをつなぎ合わせて新しい計画表を作った。


 まず、昨年計画表の上に、くるくる丸まっていたポスターまっすぐ伸ばし左右につなぎ合わせて、台紙を作った。下の古い計画表の線が透けて見えるとよかったのだが、ポスター紙が厚すぎて、線は全く見えない。新しく定規を使って横31日分、縦12か月分を線を引き直すはめになった。


「わーい、わーい。できたできた。」

「自分で作ったようにはしゃぐでない。君は少しの時間、紙を押さえていただけで、99%は父さんが作ったのだ。」

「ところで、タイトルは、計画表・予定表じゃつまらない。」

「そんなこと言ったって、計画表には違いない。」

 

「それでも、最初は計画表であり予定表だけど、こうやって去年からの1年を見ると、これはもう計画表ではなくて、我が家の歴史になっている。」 

 なるほど、言われて見ればそのとおりである。現に去年のは捨てずに、その上に今年の新しいのを貼り付けた。去年の今頃何をやっていたかは、一枚めくれば分かるようになっている。

「よしわかった、その時が来るまでは計画表だが、結果的には我が家の1年の歩みとなるのだから、タイトルは「我が家の歩み」と命名しよう。これでどうだ。」

「グッドアイデア。いいことがたくさん書ければいいね。」

 かくて下のような、「我が家の歩み」ができあがった。


 新しく手作りした2011年4月から2012年3月までの計画表、「我が家のあゆみ」。日付も、平日・土曜日・休日を3色のマジックを使って色別に記入するという手の込んだやり方をしたので、完成まで1時間もかかった。


 「たくさん記入できればいいね」といっていたら、何のことはない、直ぐに、3月末から4月初めのスケジュールが大賑わいになった。理由は、「転勤」である。

 この春、我が家のうちの5人までもが、3月までと異なる場所で生活することになったのである。
 次男は、この3月末に大学を卒業した。これは初めから予定に入っていたことだった。
 長男は、この4月に正式に就職し、新しい仕事場に赴任することになった。
 また、長男は2月に無事結婚し、新たに家族が増えたわけであるが、彼女も来月から転勤となった。
 そして、妻は、現在の職場で働きはじめてまだ3年であったが、うまく希望を受け入れてもらって、希望の職場に転勤となった。
 さらに、私である。
 現在の職場には2年しか勤めていなかったので、もう1年ぐらいは続けていられるかと甘い期待を抱いていたが、その願いは認められず、4月から新しい職場へ転勤となった。定年まで残り4年という高齢グループの一人としては、自分の希望など認めてもらえるはずもなく、組織の都合が優先されるのは、どこの職場でも同じである。
 
 かくて、卒業1人、職場移動4人と、我が家の2011年4月は「大移動の春」となった。


 それぞれの職場で、存在感を示すことができれば幸せ。


 中でも特別がんばらなければならないのは、次男である。
 3月21日に、夫婦で彼の大学の卒業式に行ってきた。しかし、本当の意味での晴れ晴れとした、「祝福」のできる卒業式ではなかった。


 女学生が多くいる大学だったので、非常に華やいだ雰囲気の卒業式に感じられた。総代とか成績優秀者もほとんど女学生だった。


 彼は卒業までに6年かかった。
 理由は、就職難だったからである。そして、卒業の現時点でも、新しい就職先は決まっていない。よく新聞に登場する、「今年の春の大学卒業生、未だ○○%は就職先決まらず」のその○○%に彼は入ってしまったのだ。仲間が多くいるから安心というわけにはいくまい。
 彼は語学が好きで、イスパニア語を専攻したのだが、今日男子大学生で語学の専攻というのは、それこそ教師にでもならなければ、特技はなかなか行かせない。
 しかし、彼は、そういう道は選ばなかった。

「教員免許を取って、採用試験に挑戦したら。今は、教師の大量退職・大量採用の時代だから、数年たてば何とかなるかもしれない。」

「僕は教師には向いていない。それは父さんを見ていれば分かる。教師になったって、父さんのようにはうまくは教えられない。自分の道は自分で探す。」

 そんなところで親を意識しなくてもいいと思うが、成長する過程で親を乗り越えようとするのが子どもというものだろう。それが分かっているだけでも、褒めてやらねばならない。
 そうだ、自分の一生のことだ。納得いくまで頑張ればいい。君なりの方法で、自分の存在感を示せばいい。


 我が家の生け垣に、ひょこっと、一つだけ新芽が伸びていた。毎年剪定をして、植木職人さんのハサミで長さがそろえられている生け垣に、どうしたことか、個性のあるヤツが出現した。切られることなくこのまま伸びるのは大変なことかもしれない。
 そのけなげさに、思わず応援したくなる。


「みんな、大変だけど、それぞれの春を何とか乗り切って。私が産んだ子なんだから、大丈夫、大丈夫。」

  「それが一番危ない。その自信はどこから来るのだ。」 
  「ぶう」

 新しい出会い、そして、自分探しの不安。それぞれの春は、そしてこの1年はスリルに満ちている。
 普通の年でもそうなのだが、今年は特別な事情がある。転勤した4人は、全員公務員なのだから、被災した東日本のためにいろいろ支援することもあるだろう。口先で同情したり、義援金を出したりすることもいいが、それより重要なのは、自分の町にやってくる移住者やその子どもさんを、町でそして学校で心を込めて迎えることである。また、場合によっては、東北へ出向いて仕事をすることもあるだろう。そして、派遣されずに職場に残った場合は派遣されていった人の穴埋めを、いやな顔一つせずにやり遂げることもだいじだろう。そういうことが、本当に助け合うと言うことなのだ。
 いろいろな困難なことが想定される。

 がんばろう我が家、がんばろう東北、そしてがんばろう日本。


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