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 38 人生に重大な影響?を与えたものⅡ父編1「知的生産」 10/07/18

 今回も「人生に重大な影響?を与えたものⅠ」に続いて、本のことである。
 誰にでも人生に多大な影響を与えた書物というのはあるものだと思う。そのⅠでは、我が3男Dの人生に大きな影響を与えた漫画、『風雲児たち』について書いた。
 このページでは、私自身が大きな影響を受けた本について書きたいと思う。
 今まで読んだ本は、オーバーではなく、たぶん2500冊ぐらいになるだろう。分野では、小説の類は非常に少なく、歴史学・法学・経済学・哲学・心理学・教育学など社会科学系の本が中心である。なにしろ、幅広い知識が勝負の高校地歴公民科教員だから、致し方ない。
 そして、その多くは、まだ我が家の本棚に収まっている。
 その中で購入年の古いものはというと、コナンドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズ、柴田翔『されど我らが日々』、畑正憲『ムツゴロウ』シリーズ、司馬遼太郎『龍馬が行く』『国盗り物語』などである。これらは、高校生の時から大学入学当初に読んだものである。
 中学・高校時代からの真の読書家は、きっと若い時代にもっとたくさんの本を読んでおられることであろう。私は、小学校時代からむしろ読書嫌いの少年だったので、中学校時代も本を読んだ記憶はほとんどなく、やっと高校生になって、本を読み始めたというのが真実である。大学に入って、「真の読書家」の同級生たちの博学さに心から驚き、ついで怖じ気づいたことも覚えている。

 私の「基地」。左端プリンタの下にPCがあり、その前の本棚との間のスペースが、私の居場所となっている。たぶん、東海大地震が来たら崩壊してきた本に埋もれて死ぬことになるだろう。本望ではある。(-_-;)
 ※デジカメ2枚の合成写真 


 上記の本を書いた作家は、いずれも私の人生に大きな影響を与えた作家ばかりであるが、今日紹介するのは、そのいずれでもない。
 上記の本以外に、高校生の時に買って、大学に合格して新学期が始まる前に読み、それ以来何度も読み返して、大事にした本がある。
 右の、
梅棹忠夫著『知的生産の技術』である。
 この本のことは、しばらくの間忘れていたが、去る2010年7月3日に著者の梅棹氏が逝去され、また思い出した。

梅棹忠夫氏は、京都大学名誉教授。初代国立民族学博物館館長。1920年生まれで、90歳で逝去された。

 「そういえば、この本にはいろいろ思い出がある。大学生の頃、教師の初任の頃、そして、・・・・・・」

 我が家の本棚に、38年間鎮座していた。背表紙の褐色が時の流れを物語る。 


 この本が気に入った第1の理由は、タイトルの「知的生産」という言葉そのものである。
 「大学の文学部の学生である自分は、今、教師になろうとしている。自分はどのような仕事を目指すべきか?」
 自然科学を学んで何かの分野で発明をするとか、自動車や電化製品や何か具体的な品物を生産するなら、「私の仕事は・・・・・」と説明しやすい。しかし、文学部卒業の教師の場合は、なんと説明しようか。地理歴史科の教師だからただ日本史や世界史の専門分野を教えるというだけなのか。それ以外に、その活動を説明するもの、目指す目標とするものはないものか?
 「部活動をばりばりやる」?・・・、人生それだけじゃないだろう。「友情の大切さを教える」?・・・、TV番組なら簡単だけど。「人生を説く」?「命の大切さを説く」?・・・、大目標すぎて、リアリティが今ひとつ。
 そういう時に、この「知的生産」ということばは、狭いジャンルをこえて、私の進むべき道を示してくれているように思えた。

「ところで、この「知的生産」というのは、どういうことなのだろう。この本では、書名にもその語をつかい、わかりきったことばのようにあつかってきた。しかし、なんだか耳なれないことばだ。とおもっている人がおおいのではないかとおもう。それも当然なので、これはわたしのつくったことばである。その意味内容については、いちおう説明が必要であろう。
 ここで知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合である、とかんがえていいであろう。この場合、情報というのは、なんでもいい。知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、十分ひろく解釈しておいていい。つまり、かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがらー情報ーを、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよいだろう。この場合、知的生産という概念は、一方では知的活動以外のものによる生産の概念に対立し、他方では知的な消費という概念に対立するものとなる。」(前掲書P9 「まえがき」より)

 自分なりに納得した。高等学校で教えるというのはどういうことなのか。その目標のひとつは、受ける人を「知的生産者」へと導くこと。自分なりに、「知的生産者」として模範を示すこと。


 梅棹忠夫氏が『知的生産の技術』で示された、情報の収集、検索、処理、生産、展開のための基本的な技術は、次の11の項目に整理されて示されている。


 この11項目のすべてを、大学1年生の時から現在まで38年間、いろいろな形で意識し続けた。あるものについては、その技法をかたくなに守り、そして、あるものは、時代に趨勢に従って改善したり、他のものに置き換えたりした。
 私は、作家や大学教授ではないので、それらの方々に比べれば、知的情報の生産量はたいして多くはないだろう。しかし、教育公務員として、さらには、このサイトの主催者として、普通の方よりは、多くの情報を生産している。自分の経験から工夫して進めてきた、私なりの知的生産の技術のいくつかを示してみる。




Ⅰ 手帳・メモ帳=「発見の手帳」   |表02 の説明図に戻る |
 梅棹氏が書いておられるように、情報を創造する基盤のひとつは、その元となる情報(ネタ)をいかに収集するかにある。また、情報の創造という点からいえば、情報の収集過程で何か突然ひらめいたこと、気がついたことを書き留めることは、のち大きな創造を生む基盤となる。そのためには、それらを手持ちの手帳・メモ帳にすぐに書き留めることが情報収集作業の必須となる。梅棹氏は、この手帳のことを「発見の手帳」と名付けておられる。
 これを利用する際、大事なことは次の点である。それらの情報やひらめき・気付きに接するのは、まったく、突然である。したがって、それらが生じた時、いつでもそれを記録にとどめることができるシステムを作っておく必要が在る。かつての大日本帝国海軍の用語に、「不時会敵」というのがある。さすがに、現代のワープロでは変換しない専門用語である。この意味は、予想もしなかったところで突然敵と遭遇するという意味である。戦争中といえども、突然敵に遭遇すると、大騒ぎとなって、いくつかのミスを犯してしまう。
 敵ではないが、情報やひらめき・気付きも突然にやってくる。具体的には、人と話している時にでも、自動車に乗ってラジオを聞いている時にでも、電車に乗って窓外を眺めている時にでも、それは起こる。その時用に、常にメモと筆記用具を準備していなければならない。
 梅棹氏の、「発見の手帳」という発想は、一つの手帳を大事につかうというニュアンスが強いが、これでは実は間に合わない。私は人と会う時に備えて、実は、名刺入れを5つ持っている。執務室用、事務鞄用、個人的サイドバック用A、同B、自動車用である。つまり、いつどこへ行っても、何らかの鞄を持っている限り、自動車に乗って出かけている限り、名刺入れは存在していることになっている。(それでも、最近は、夏のクールビズのせいで、時々名刺なしの時があって、失敗をする。)
 メモ帳も、同じ体制となっている。つまり、5つの場所にそれぞれメモ帳と筆記具のセットが準備されていて、それこそどこでもメモを取ることができる。「メモ帳は、情報を得る場所の分だけ用意する」というのが、私の極意である。ただし、それについては、次の批判があろう。「そんなにメモ帳をいくつか作って、情報をあちこちに書いたら、忘れ去ってしまわないか?」これについては、次の項目で、その対処方法も説明する。
 ところで、一次処理として、メモ帳へ情報を書くことは、私の場合、全情報処理量の1割ほどでしかない。
 なぜかと言えば、梅棹氏の著作時代と違って、PCでの役割が大きく、直接PCへ入力という場合が4割ほどになるからである。それともう一つ、手帳ではなくノート(カードではない)へ書くこと全情報処理の3割ほどはあるからである。このことも、次の項目で説明する。


Ⅱカードではなくてノート   |表02 の説明図に戻る |
 梅棹氏の「技術」で特に注目を集めたものは、「カード」の利用だった。読書やフィールドワーク等で得た情報をカード1枚に一情報ずつ書き込んでいき、そのカードをいつでも検索できるようにしておいて、次の情報の加工や創造につなげるというのは、とても斬新な提案だった。
 私も当初はその方法を採用していたが、途中でやめた。

 カードを使いもせずに、カードの話をしているのではない。就職して10年ほどは、カードを主として使っていた。梅棹氏の本を読んで、それ以前からつかっていたこともあるが、就職一年目の職場の先生の中にカード利用に熱心な先生がいて、「どうせだから、みんなで一緒にたくさん注文して、作ろう。たくさん印刷すれば,安くなる。」と言うことになり、確か、自分用に1万枚ほど作ってもらった。その残余がこのカードである。現在もかなりの量がある。右はカードを整理するアクリル製のカードボックス。最盛期は、こういうボックスを10個ほど持っていた。


 しかし、途中で次の理由から、カードの使用は激減した。(システム上はやめた)
 第1の理由は、梅棹氏のように、研究者としてフィールドワーク等の作業があり、そこから得られる情報を書き留めておく場合は、カードは貴重な情報記入源であるが、私たちのように、普通にデスクワークをしていて、情報の多くは座って書物から得たり話を聞いて得るものにとっては、カードよりもノートの方が使いやすい。カード1枚ではなく、ノート何枚にも書き連ねる方が向いている情報の方が多いからである。カードでもノートでもどちらでも同じだが、メモすることは、後でそれを見る自分が忘れてしまっていることを前提とし、そんな自分が見てももう一度魅力的と読み取れるようなきちんとした内容になっていなければならない。キーワードを断片的に書いた場合だと、実は、あとから見ると何が何だか分からない状態になってしまう場合が多い。数枚のカードに書き連ねれば同じではないかという人もいるが、A4版(見開きにすればA3版)の大きなスペースに、視覚的にも訴えられる内容を自分で上手に書くというのは、「ノートを作った」という満足感も同時に得られることになる。私にとっては、こちらに切り替えてから、情報をまとめる件数・あとで使い物になるかの両面において、カード時代よりノート時代の方が飛躍的によくなった。これは、民族学の博士と、一日本史教師という違いもあるのかも知れない。

 上は最近使っているノートに、HP取材用の内容をメモしたものである。内容は出張で佐賀県に行った時、用務前の早朝に、有明海の太良漁港まで行った時のものである。この1ページの内容は、また、次に絶対に行かせることができると思っている。


 第2の理由は、梅棹氏がカードの魅力・ノートの欠点とされたことをノートでも克服できるとかんがえたからである。
 梅棹氏が指摘された点は、カードは、順不同に蓄積していっても、あとで並べ替えは自由、検索も、カード入れからカードを繰ることができるので、知識が死蔵されることはないという点である。
 次のように書かれている。

「カードは一種のノートであるが、さらに、ノート以上のものでもある。ノートでは、せっかく記録したものが、そのままうずもれてしまって、随時取り出すのがむつかしい。カードは、適当な分類さえしておけば、何年も前の知識や着想でも、現在のものとしていつでもたちどころに取り出せる。カード法は、歴史を現在化する技術であり、時間を物質化する帆法である。」(前掲書P60  「3カードとその使い方」より)

 ノートでもそれができる。
 ポイントは二つ、ノートの項目ごとに、番号を付し、先頭の3ページぐらいには、あらかじめインデックスを付ける空白ページを作っておいて、そこに時間順に書き込んでいく。
 つまり、ノート一杯に書き込んだ時点で、何が書いてあるかを冒頭のインデックスで確認できるようにしてあり、そのページへ番号を繰ることによっていつでも到達できる当状態にしておけば、カードと同じか、もっと早く過去の情報に到達できる。上のノートの左上端の、「30」という数字は、その項目番号であり、このノートの先頭には、「30 10/06/18 朝の探検 有明海の干拓」とインデックスが着いている。
 もともとノートとカードでは、持ち運びや保存という点はノートの方が便利である。上記の点でノートが上回れば、全体としてカードよりノートの方が有利と言えると思う。
 本題から外れるが、次のことにも付言しておかなければならない。
 上の複数のメモ帳を配備のところで触れたが、どこにどんなメモをしたか忘れてしまわないためには、メモしたことをチェックして、未来に伝わるように、ノートにきちんと整理していくことが必要である。メモ帳はあくまで一次処理用で、きちんとして蓄積するためには、二次処理が必要だと考える。その「基地」がノートである。


ⅢPCの利用   |表02 の説明図に戻る |
 カードを使わなくなった第3の理由は、PCである。
 梅棹氏のかの本が読まれた1970年代(正確には初版は1969年)には、一般の人間がPCを使うなどと言うことは想像もできなかった。しかし、1980年代後半からそうではなくなった。
 私もその頃から大事な情報の蓄積はPCに頼る方向へ移行した。この結果、ますますカードの必要性は減少した。
 現在私が、PCで扱う知的生産のためのファイルは、職務記録を中心としたファイル(日誌、管理上のメモ(例 冠婚葬祭費)、講話のネタ、過去の講話の実績などを含む)、本(読書メモ)や資料などの記録ファイル、HP作成用ファイル(資料・写真等)、さらに個人生活用のファイル(住所録等)などに大別できる。
 資料などは、一時は、わざわざマイクロソフトのアクセスを使って、データベース化したこともあったが、現在では、普通のワープロファイルで保存している。通常のワープソフトでも、上のノートのところでも書いた、インデックス作製と検索が自由自在にできるからである。梅棹氏の「技術」の時代とは、隔世の感がある。
 日常的には、インターネットからの直接の情報収集に加えて、OCRによる文章の取り込みや画像の取り込みも含めると、個人が扱うデジタル情報の分量は膨大なものとなっており、そこから、いかに有効な情報を検索し、結びつけていくかが課題となる。


Ⅳ紙ファイル・クリアファイル   |表02 の説明図に戻る |
 といっても、新聞・雑誌を中心とする印刷物情報の利用も、依然よりは比重が低下したものの、無視できな重要な情報である。これについては、私は梅棹氏の提案による伝統を今も守っている。
 資料は、生のままか、もしくは、コピー機で複写して、普通の紙ファイルかクリアファイルに保存している。これらの情報を保存するポイントは、今まで述べたものと代わらない。
 一つは、保存しやすいように、コピーを使ったり、A4版用紙に貼り付けたりして、同一の規格にすることである。もう一つは、この場合もやはり、ちゃんとインデックスを付けることである。


 パンチ穴を開けても差し支えない資料は、普通にコクヨの紙ファイルに保存する。分類はあまり細かくない方がよい。細かいとどこへファイルしたか分からなくなる。
 ここでもポイントは、見出しを付けること。右はそのインデックス(見出し)。手書きで、日付と項目のタイトルをあとで自分が分かるように書いておけばOK。これなしにファイルしていくと、全くの「死蔵」になる。見出しがあれば、情報を探す作業をすればするほど、インデックスが頭に入り、自分で行う検索もどんどんスムーズになる。見出しを書くちょっとの時間、小さな努力が無限の可能性を生む。
 ちなみに、右のインデックスの中央の白い部分は、最初は必要と思ってファイルしインデックスを付けたが、のち何度も見ていくうちに不必要と判断して、インデックスも資料自身も削除した部分である。


Ⅴ携帯電話の利用   |表02 の説明図に戻る |
 私自身の中で、今の段階では、まだ全く整理できていないのが、携帯電話である。
 携帯で得た情報をメールでPCに送る。写真を送るといった利用はしている。したがって、上表では、情報源と一次処理ツールの両方に位置づけたが、今後どうなるかは、まだ分からない。
 若い方は、普通に携帯電話を予定表、日記その他いろいろなツールとして使っている。なくしたらどうするのか、水の中に落としたらどうするのかという心配もあるが、それなら手帳だって同じはずだ。私のような50代の世代は、携帯電話については、幼児同様である。知的生産のツールとして携帯電話をどのように利用していくかは、今後の課題である。


まとめ   |表02 の説明図に戻る |
 最後にもう一度、梅棹氏が指摘されていることを強調してまとめとする。
 上手な知的生産者となるためには、まず、その前提となる、情報の収集体制ができていなければならない。外部情報、自分のひらめき・気付き、これらをうまく蓄積する方法が肝心である。私は、メモ帳とノートとPCと紙ファイルとクリアファイルを併用している。
 蓄積した情報は、分類しておいておくことが重要なのではない。それほどうまく分類されていなくても、利用者である本人が検索して新しい情報の生産(創造)につなげることができるように、項目のチェックと情報本体の検索が容易でなければならない。このページで再三強調した、インデックスの整備は、そのためのものである。
 また、新しい情報の創造とは、簡単にいえば、それまでの情報AとBが結びつくとか、今まで同じと思われていた情報AとBは、実は異なるとか、そういうものが大半である。科学者の発見にしても、そうではないだろうか。
 だとすると、未来の自分が、そういう発見をできるように、最初に自分が面白いと思ったことは、できるだけ具体的に未来の自分に書き残すことが必要である。未来の自分にゴミの山ばかり送っても仕方がない。肝心なのは、いつも言っている、「自分の未来に優しく」である。
 また、新しい発想には、アナロジーができるかどうかが重要だと思う。そういう視点で未来の自分にメッセージを送ることができるかどうかが、知的生産の実現するポイントになる。アナロジーについては、また、別の項目で、説明したい。

 どの世界にも、「不易と流行」がある。
 「不易」のポイントを押さえつつ、新しい『知的生産の技術』を見出していきたい。


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