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 31 中年時代・壮年時代2 第3位表彰状  04/06/06     

 今年の誕生日に決意した、「陸上競技100m走に挑戦」を、無事やり遂げた。
 6月6日(日)に行われた、第9回岐阜マスターズ陸上競技選手権大会の100m走に出場し、見事???第3位になり、表彰状をもらった。(見事のうしろに?がついていることについては、あとで、お話しする。)
 記録は、13秒75である。
 私は、生徒・学生時代、就職後のいずれも選手として陸上部に所属したことは一度もない。したがって、陸上に関して協会からちゃんとした表彰状をもらったのは、生まれて初めてである。
 小学校・中学校の頃、東京オリンピック後の全国的風潮で、学校の運動会は、ほとんど陸上記録会方式だった。いまから思うと、ひたすら陸上競技をするつまらない運動会であったが、私たちの世代は、文句も言わずによく頑張った。

 

 そのころの、一応の記録といえるものはあるし、また、高校教師になって陸上部の顧問を務めたことから、30代になって、生徒に計測してもらった記録もある。
 しかし、電気時計計時で、ちゃんと100分の1秒まで計測してもらった記録は、これが初めてである。 
 


 100mを走ると決意して以来、一応の努力はした。
 練習場は、まずは、家の近くの農道コースである。
 勤務から帰った深夜に、時間を見つけてはひたすら走った。
 ついで、時々ヒマな時に出かけたのは、岐阜県営の正式な陸上競技場である「長良川競技場」の「補助競技場」(サブトラック)である。
 サブトラックは、団体が借り切っている時は個人の使用はできないが、そうでない時は個人で利用することができる。
 料金は、1日110円である。

 サブトラック。この日の朝は他に誰も利用者がおらず、管理人から鍵をもらって自分でゲートを開けた。 

 100mのスタート地点からゴールを見る。こうしてみると100mは遠い。走ってみると本当に遠い。


 39歳の時に椎間板ヘルニアの手術をして以来、100mを走ってタイムを計測してもらったことは一度もなかった。
 練習には目安が必要であるから、自分で工夫してタイムを計測した。
  普通のストップウォッチを4000円で購入し、自分で持って計測するのである。
 もちろん実測値とは大きく異なるが、それはそれで、同じ方法を続ければ、タイムが伸びている、そうではないということが、わかるものである。
 3月以来3ヶ月間の練習で、タイムは、ほんの少し向上した。
 しかし、目標の13秒30にはほど遠い、14秒前後の記録である。
 ちょっと心配になった。
 競技会では、12秒台のレースになると予想され、これでは、あまりにも・・・・・、貧弱なのである。(-_-;)

 さて、参加すべきか、とどまるべきか。


もちろん、正式な競技会であるから、ちゃんと連盟に登録して、競技会にエントリーすると言う事務手続きも忘れてはいけない。
  ただし、これにはお金がかかる。
 登録料3000円、競技へのエントリー料金は、1種目1000円である。
 やがて、登録証明書が送られてくる。23-0288が私の登録番号であり、288が、競技当日ユニフォームに付ける番号ということになった。


 いよいよ競技会の2日前という時点まで、参加を悩んだ。
 
 ところが、競技会の開催日、この6月6日という日は、実にいい日に設定されていた。
 この日は、ほんものの、陸上競技の日本選手権の最終日と重なっていたのである。

 その昔、とある高校で、似たような経験をした。
 その学校では、秋の学園祭が、文化祭2日間+体育祭1日、合計3日間という日程で開催されるのが慣例だった。文化祭の2日目、恒例の全校映画鑑賞が組み込まれていた。
 「ダンス・ウィズ・ウルブス」「植村直己物語」などその前年の名作を体育館で上演するというイベントである。
 
 ある年、映画は、アカデミー賞も受賞した、「炎のランナー」だった。
 ロンドンオリンピックに出場する二人の短距離ランナーを描いたこの作品は、そのサントラ盤の音楽もなかなか印象的で、いまでもBGMとしてよく使われているあの名作である。

 これが絶大な効果を発揮した。
 何をと言うと、次の体育祭が、がぜん盛り上がったのである。
 映画を見た後、自分がその主人公の気分になりきってしまうことは、よくあること。
 つまり、翌日の体育祭では、多くの生徒が、すっかりアスリート気分になって、頑張ったのである。単なる徒競走が、ホームルーム対抗リレーが、団別リレーが、いつになく盛り上がったのはいうまでもない。

 陸上日本選手権は、6月4日から始まった。
 選手の活躍を見て、「自分も」という気になった。人間、単純なものである。

 そして、当日、あいにくの雨の中、岐阜市から車で1時間半ほどの距離にある、多治見市星ヶ台陸上競技場に向かったのである。 

 多治見市星ヶ台陸上競技場。 

  男子800mのスタート。あいにくの雨。


 競技開始の10時頃は、ひどい雨だった。
 にもかかわらず、男子約60名、女子約15名の老若アスリートが集まっていた。いや正確には、若い人はいない。
 最も若い人は、男子は短距離のSさん37歳。女子も同じく短距離のOさん33歳。
 一方最高齢は、男子は1500mと5000mに出場するWさん78歳。女子は、100mに出場するTさん60歳である。
  78歳のTさんは、いまだにフルマラソンを走っているとのこと、すごいもんである。

 タイムが速い人が尊敬されることはどの陸上競技会でも同じであるが、このマスターズ陸上競技会では、もうひとつ、もちろん、年齢が高いことが、それ以上の尊敬を集める。


 100mは、10時30分スタートだった。
 本来は各年齢ランク別のレースが実施されるのが理想であるが、この大会では毎回出場人数が少なく、そのつど、いくつかの年齢ランクが組み合わせてレースが構成される。
 今回は、35歳〜39歳、40歳〜44歳、45歳〜49歳の3ランクの選手が同時スタートというレース設定となっていた。
 ということは、49歳の私がこのレースでは最年長と言うことになる。

 ひさしぶりに、何とも言えない緊張感だった。
 スタート地点に漂うえもいわれぬ重苦しさ、スターティングブロック、スパイク、雨に濡れるウェア。
 そして、いつもTVで見る、おきまりの「位置について」、「用意」、一瞬の沈黙とピストルの号砲。
 予想はしていたが、他の選手は速かった。
 陸上競技ではよくある現象だが、他の速いペースに巻き込まれて、我を忘れた。前傾姿勢が維持できず、自分の体が棒立ちになって、スパイクが空回りしている感覚である。
 いわゆる、突っ立ったまま、あせるばかりでスピードは出ない状況で、あっとう間にゴールラインがやってきた。

 その結果が、13秒75であった。目標タイムからはずいぶん遅れた。後悔の残るタイムである。
 一緒に走った他の選手の記録は、次の通りである。
順位 選手名 年齢 タイム
37
11.92
45 12.90
47 13.01
49 13.75
棄権 44

 家に帰って、もちろん家族に報告した。

「どうだい、見事、第3位の表彰状をもらったぞ。」

「何、多治見くんだりまで、陸上やりにいっとったの。」

「13秒75か。ぼくよりも速い。」(3男Dは中学3年生)

「3位って、何人走って3位なの?」

「え〜えと、3人。」

「えっ、3人しか走っていないの?」

 上表を見ていただきたい。
 レースの順位上は、4位であるが、1位のSさんは37歳であるから、私とはクラスが違う。したがって、表彰状に書かれている、「クラスM45」(45歳〜49歳)は、私も含めて、3人が走って、私はその3位だったというわけだ。

「ということは、棄権しなければ、表彰状はもらえたというわけね。ずいぶん価値の薄い表彰状だこと。」

「ええい、さがりおれ。走ることに意義があるのじゃ。」

「お金もずいぶんかかっているしね。」

「日本選手権で優勝した末続慎吾選手のタイムは、10秒10じゃ。たった、2秒65しか違わない。」

「どこが、たった。えらい違いだ。」

 速くて10秒前後、遅くたって、13秒そこそこの時間である。
 日常なら、それこそあっという間の時間である。

 コンマ何秒、1秒、2秒の大切さを味わうのも、またいいものである。
 次は、12秒台を目指すぞ。   


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