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 30 中年時代・壮年時代1 2足のスパイク  04/02/22     

 今週、49回目の誕生日を迎える。
 人によっては、年齢を重ねると、
「もう誕生日なんか祝ってほしくない。」
などといわれる方もある。
 昔美しかった女性が、だんだん年とともにその美貌が・・・・、というような場合は、その気持ちは十分に理解できる。

 しかし、私は、いくつになっても誕生日は、祝ってもらった方が嬉しい。
 他の所でも書いたが、一つには、自分の母が生きている限り、この日は母の出産記念日にもあたるわけであるから、そこに心を向けるだけでも意味がある。

大きなロウソクが4本、小さなローソクが9本、にぎやかな誕生日ケーキ。 


 もうひとつは、やはり、新年を迎えるのと同様、自分の人生を振り返り、これからの「決意」?を示す日として、重要な日であると思うからである。
 こういう日がなければ、なかなか自分の時間を区切って新たな位置付けをするなんてことは、それこそ年齢を重ねれば重ねるだけ、難しくなってくる。

 誕生日が、週の途中で、その日も仕事で帰りが遅くなると予想した我が家族は、昨日、ケーキを準備してくれた。
 夫の、父親の誕生日を、家族に覚えていてもらえるのは、まずもって幸福な父親といえるが、これには、少し秘密がある。我が家は、この週に、私、私の母、3男Dと3人の誕生日ラッシュとなるので、みんなセットで覚えているわけである。


 さて、49歳である。いろいろ考えた。

 考えるヒントは、年末にあった、教員の諸先輩方との交流会で聞いたことにあった。
 無事定年退職された先生方は、口々にこういっておられた。
「定年退職すると、時間をもてあます。さてそれから趣味を見つけようと思っても、それでは遅い。現役の頃から、定年後に備えてちゃんと趣味を作っておかなければならない。それも少々の趣味ではなく、ちゃんとしたものを。」
 この発言は現役の先生方に結構インパクトがあった。なかには、
「そうかー、俺なんか、仕事以外なにもないしなー。」
とか真剣に悩んでいる同僚いた。

 私はというと、これまで諸先輩・上司の発言に「反発」し続けてきた、悪い「癖」がまたでて、ひねくれた。
「退職後に備えて、計画的な趣味?退職後までそんなまじめな人生を送らせるつもりかい。そんなこと考えなくっても、その時になりゃ、なんとかなるんじゃないの。文芸、書道、詩吟、音楽、ボランティア、陶芸、園芸・・・・、立派な趣味だけど、そんな高邁な『文化』ばかりでなくってもいんじゃないの。」


 いろいろ考えて、昨日、スパイクを二つ購入してきた。右の写真の2足である。 
 左の白と黒の縞模様のスパイクは、それらしくないが、実はサッカーのスパイクである。
 この「なんだこりゃ」の他のページでも書いたが、私の第一の趣味は、サッカーである。
 この年齢で、「趣味はサッカー」と公言すると、大抵は、「へぇー、すごいですね。」といわれる。
「へぇー」の意味は、肉体的な驚嘆1割、他は「ええ年こいて(岐阜弁)、よーやるよ」9割であると思っている。 それが証拠に、こんなことも言われた。

 2足のスパイク


 昨年は、4月の岐阜地区のシニアリーグの開幕試合で、左足首の靱帯を損傷するという大きなケガをして、1シーズンを棒に振ってしまった。(ほとんど、プロの大選手向けの表現)
 ケガをした直後、びっこひきながら職場で勤務していると、
「もしもの事故を考えると、そういうハードなことは、もう辞めた方がいいな。」
と職場の上司から忠告を受けた。
 やめて、「高邁な文化」を趣味にもてってか。そうはいかないぞ。

 ケガから以後、何ヶ月間治療に専念し、また動けるようになってからは、それまでにもまして、訓練に励んだ。
 おかげで、回復した。 
 いや、むしろ、前以上に、元気になった。
 当然ながら、新しいサッカースパイクの購入は、「これまで以上にサッカー頑張るぞー」という宣言である。

 さて、もう一つのスパイクである。普通のランニングシューズに見えて、実は違う。
 回復訓練のおかげで、速く走るという点においては、この数年間の状態より、良くなった。
 そこで、また、昔の夢が頭をもたげてきたのである。
 この2年半、体重調節のために、ジョギングをしているが、私の本来の特性は、長距離を走るのには向いていない。
 39歳の時、一度フルマラソンに挑戦したことがあったが、本人の努力とは裏腹に、42.195キロのタイムは、5時間30分ほどと散々だった。
 私は、実はスプリンターである。
 タイム的にはたいしたことはないが、本人は、短い距離を速く走ることに、生き甲斐を感じている。 


 その生き甲斐に、再び真正面から取り組むことにした。2足目のスパイクは、なんと陸上の短距離用のそれである。
 陸上部の部員であった経験はないが、教員になってからも、短距離走の鍛錬を続けていた。運動会のヒーローになるためである。
 その結果、100メートル走の自己最高タイムは、11秒9というのをもっている。32歳の時の記録である。
 今はそのようなタイムは出るはずもない。それでも、走ってみる気になった

 左サッカー用、右陸上短距離用スパイク


 そんな非常識なおじさんたちの夢を叶える仕組みもちゃんとできあがっている。
 各県別の「マスターズ陸上選手権」である。

 マスターズ陸上の選手として3000円を払って協会に選手登録しておけば、毎年6月にちゃんとした陸上競技場で行われる「選手権」に、1種目1000円を払えば、出場できるのである。

 35歳から39歳までを始めとして、5歳毎に区分されていて、私は45歳から49歳の部門へエントリーすることになる。どのくらいの数の選手が出場するのかというと、これがまたこぢんまりして、具合がよい。
 平成15年の「第8回岐阜県マスターズ陸上選手権」は6月1日に多治見市の星ヶ台陸上競技場で行われた。
 100Mの出場者は、35−39の部6人、40−44の部0人、45−49の部2人、50−54の部4人、55−60の部2人、60−64の部4人、65−69の部8人、70−74の部2人、となっている。

 まあ、これぐらいの少人数の特殊な人が臨む活動なのである。
 昨年は、人数が少なかった45-49の部と50-54の部は合同でレースが行われ、早い人から順にタイムは、12秒45、12秒56、12秒65、13秒40であった。
 自分はたぶん今は、13秒30ぐらいでは走れると思うので、他の人に迷惑をかけないちょうど良いレースとなるはずである。
 このところ、帰宅後のジョギングは、コースの前半の本当のジョギングと、コース後半のインタバル走と100M走となっている。
 コースの最終部分に、アスファルト舗装したばかりの農道の200Mの直線部分を見つけて、そこが夢への挑戦の練習場となっている。腰や膝や足首など体へのダメージを考えると、本当は、土のグランドがベストなのだが、照明がほとんどない夜間練習では、凹凸がない走路が最優先である。
 農協の倉庫の横に灯った街灯1基が、走路の唯一の照明装置である。
 
「夜に、そんなところ全力で走って、そのまま心臓麻痺で倒れたらどうするの。」
 私が走る時間帯は、普通は妻はもう眠ってしまっている。
「朝、もし家にいなかったら、探しに来てくれるか?」
「大丈夫、父ちゃん、そこは僕の通学路だから、朝自転車で通るときにわかる。」(--;)

 倒れてまだしばらく生きていたら、夜空の星の数でも数えようか? 


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