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 29 三男D職場体験実習挑戦       03/11/02      

 誰しも、自分がほんとうはどんな仕事が向いているか、一生悩みながら過ごすものだと思う。
 教師になって、27年目の私も、今でも悩んでいる。いや、今でもどころか、年齢を重ねるにつれて、その悩みが深くなったというべきか・・・・。
 子どもたちが将来の職業の選択に向かい合う機会を増やそうというわけで、今は、大学はもちろん、高校でも中学でも、生徒の職場体験実習が、盛んにおこなわれている。

 私の3男Dも職場体験実習に挑戦した。
 自分が将来何になるかということは、小学校のまだ何も知らない時なら何でも言えるが、中学生ともなれば、現実的になる。つまり、それを悩んでいるその当人の現在の成績も、致し方ないことながら、将来を決める重大な要素になるからである。
 3男Dは、すべての教科ができるタイプでもなく、どれかの教科が特にできるタイプでもなく、将来の選択には、悩みが多いタイプである。

 9月のある日、突然、彼が学校からの印刷物を見せた。
 「『職場体験学習』へのご協力のお願い」と題するそれは、2年生の学年主任が発信人で、各企業・事業所宛に、職場体験学習をするから協力をお願いしたいというものだった。
「おいおい、企業・事業所宛の文書を保護者に渡してどうする。」
といぶかってよく読むと、
「なお、この『お願い』については、各生徒の興味関心によるところの選択を主に考えましたので、このように当人(保護者)が文書にてお願いすることとなりましたことをここにお詫び申し上げ、ご理解をいただきますようお願い申し上げます。」
と書いてあった。

 つまり、職場体験学習をするので、生徒自身か保護者が、この文書を持ってどこかに依頼に行け、ということを求めている文書だった。
 この方法には、ちょっと合点がいかなかったが、とりあえず、3男Dのために、実習先探しを始めた。

「D、君は、どこで働きたいのかね。」
「本を読んだり小説書くのが好きだから、本屋さんか、図書館。」
 生徒の職場体験をどこでさせるのかについて、昔、総合学科の学年主任をしていた時、会議で激論を戦わしたことがあった。
 職場体験や職場見学の位置づけについて、教員の中にはいろいろな意見がある。

 ある先生が、「職場は厳しいところ。体験を通して働くことの厳しさを学べるところへ行くべきである」と主張して、ひたすら工場での就労を主張した。
 私は違う意見だった。
「仕事がつらいことは、やってみれば分かる。それより、夢を大事にする体験をさせてはどうか。」

 私のこの意見が取り入れられて、見学先には、工場に加えて、裁判所や文化ホールといったものまで含められ、また実習先には、電鉄会社・動物病院・放送局といったものまでリストアップされた。
 依頼の仕方も、つてがない保護者のことに配慮して、生徒の希望にしたがって、学校の職員による依頼を主とした。上記の三つは、私自身が実際に実習を頼みに行った。

 3男Dに本屋といわれた時、
「読書や小説書きが好きなことと、本屋や図書館での就労は、ちょっと意味が違うぞ」と、当然思った。
 しかし、「そういう夢があるんなら」と、自分の主張の原点に返って、依頼することに決めた。

 ところが、依頼してみると、どちらも先方から断られてしまった。
 近くのスーパーとかコンビニとかも考えたが、普通にいつでも学生がアルバイトするようなところに依頼するのは、どうも釈然としなかった。

 3男Dともう一度話したところ、もっともっと原点に近い好きなものがあり、それに決まった。
 彼が本来大好きな教科は、親の感化もあって歴史である。なら、遺跡の発掘現場での体験に挑戦してみようという、途方もなく非日常的な計画になってしまった。
 うまく、依頼できるだろうか?
 ところが、依頼してみたら、これが、なんとうまくいった。
 岐阜県教育文化財団の文化財保護センターと接触したら、1日目は発掘現場で、2日目はセンター内の内勤でと、トントン拍子で体験実習が決まってしまった。
 
 一つだけ難点があった。
 発掘現場が、居住地の岐阜市からずいぶん離れた加茂郡坂祝町の東野遺跡というところで、我が家からは、バスで30分、鉄道で30分、さらに徒歩で50分もかかるというのだ。

 しかし、この心配は無用だった。好きなことができる場合、人間誰しも悪条件などものともしないものだ。
 3男Dは二つ返事で了承し、その上当日も、いつもは朝自分で起きられない彼が、起こさなくてもなんと5時半前に自分で目を覚ますという、快挙?を成し遂げた。
 妻曰く、「あなたが昔、早朝ゴルフに行ったとき同じね。げんきんなこと。」

 以下は、3男Dが撮影してきた第1日目の遺跡発掘現場での写真である。
 彼から聞き取りをして解説を付けた。


 JR高山線、坂祝駅。実習場所の遺跡はここから北のほうへ歩いて50分。発掘現場は、だいたい交通不便なところが多い。

 遺跡は、台地の端にある。写真の奥は、遺跡から見て東の方角、美濃加茂市方面の低地。 

 遺跡から西方を臨む。遺跡の上に後の時代にかぶった土(表土)は、最初に削ってコンベアーで山盛りにする。   


 表土を削って、昔の人々が生活していた地表面をさらし、地表面に印を付ける。土の色が違うところ=柱のあとなど、後の時代に土が埋まったところを掘り進む。

 掘り進んでできた穴。この作業は熟練を要するので、3男Dはやらせてもらえなかった。


 住居のあと。Aの文字の右の小さな痕跡は、鎌が見つかったあと。手前のたくさんの白い棒のようなものは、刺してある割り箸で、土の層の違いを示す。

 東野遺跡では、縄文時代から古墳時代までの長期にわたる生活痕が確認された。この台地で数百年にわたる人々の生活があった。


 3男Dは、第2日目に文化財保護センターで、土器の復元や木製遺物のシーラパック(遺物の酸化を防ぐため、ビニールで真空パックする)の経験もした。残念ながら、カメラを忘れていったので、記録はない。

 体験後の授業では、当然、「職場体験で学んだこと」という作文をかかせる時間があるはずだと思って、数日して聞いてみたら、やはり、担任の先生が添削したレポートを見せてくれた。
 彼はそこに次のように書いていた。
「最後に仕事に一番大切なのは『構え』と教えてもらった。これからどんな仕事をするにしても、その仕事を責任を持ってやりきらなければだめだといわれた。本当にその通りだと思った。」
 
 好きな作業を思いっきりやって、「責任」についても少しだけ実感できたのであれば、この体験実習は、意味があったといえよう。
 念のため聞いてみた。
「今度の実習で、一番予想外のことは何だったか?」
「遺跡発掘って、建築工事みたいなものだから、作業する人も工事現場の人だとおもっていた。歴史とか考古学とかの専門家とはしらなんだ。」

「そうだから、将来、そういう責任者になるには、たくさん勉強しなければならないし、実はそう簡単にはなれない。」
「大学卒業してもなれるとは限らないって聞いた。」
「そうだ、その通りだ。」
「もしか、とことんそういう職業に就こうとするのなら、大学卒業後も、アルバイトとかして、専門家になる道をかんがえるのかな。」
「そういう人もいるだろう。」
「ということは、大学卒業後とりあえず、夢を持ったフリーターになるってことだね。」

 あれ、結局、フリーターになるってことかい???
 まあ、いいか。普通のフリーターや、夢や信念のない正社員より、確信犯のフリーターのほうが骨太の生き方かもしれない。
 まてよ、そのまま、夢が実現しない場合はどうなるんだ。
 この体験実習は、やばかったかなー。 


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