大学4年の時、人事課から内定をもらったあと、入社したら勤務がどうなるかの説明を受けた。
人事係長曰く。
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「あなたがたは、もちろん、名古屋鉄道株式会社の将来を担う大卒幹部社員です。当社には、たくさんの高校卒の社員も入社してきますが、あなたがたは、そういう人たちのリーダーとして、将来名鉄の幹部になってもらうことになるでしょう。
だから、会社は、そういうつもりであなた方を育てていきます。つまり、将来の幹部候補だからといって、決して甘やかしたりはしません。いや、幹部候補だからこそ、高卒社員とは違っていろいろなことを学んでもらはなければなりません。
4月入社したら、まず所定の新入社員研修を受けた後、半年後に、わが名古屋鉄道の原点を経験してもらいます。わかりますか。
全員、電車の車掌をやってもらいます。電鉄会社ですから、お客さんを運ぶことが、会社の原点です。運転士は法律上、そう簡単にはなれませんから、車掌をやってもらいます。
そこで、いろいろ経験してもらいます。あまり大きな声で言えませんが、失敗もしてもらいます。
先日も、今年入社の新入社員で、ホームと反対側の電車の扉を開けてしまって、危うく乗客を線路へ落としそうになった新米がいました。(あぶねー)
その苦労を数ヶ月経験してもらったあと、今度は、全国の支店・子会社・傘下の会社などに言ってもらって、全員で名鉄のすべてを経験してもらいます。
あなたがたは、名鉄といったら名古屋中心の会社と思っているでしょうが、全国にたくさんの会社があります。しかも、実は遠いところに会社があります。
北は、北海道の網走と根室にバスの子会社あります。名古屋や岐阜と同じ赤い色のバスが走っています。
南は、サイパン島にホテルがあります。
網走・根室からサイパン島まで、全国に散らばって修行してきてもらいます。そこで有能な働きをした人こそが、真の幹部社員候補となるのです。」 |
係長の「網走・根室からサイパン島まで」という得意げの台詞が、今でも耳に残っている。
この話は、日本史の授業で何度か登場させた。私の定番の「たとえ話」の一つだった。
のちに教え子で京都大学経済学部からJR西日本に入社したM君の話では、JR西日本も、車掌や駅での勤務等、同じように「原点」を経験させる教育を実施しているとのことであった。
「会社やいろいろな組織を硬直化せずに発展・世代交代させていくには、将来の幹部社員に「原点」を経験させると言うことが、当然ながら、必須の条件である。」
この普遍の原理をどの授業と関連付けて話したのかというと、藤原道長・頼通の摂関家の政治の所である。
摂関政治の特色として、次のような説明がなされている。
「政治の運営は、摂関政治のもとでも天皇が太政官を通じて中央・地方の役人を指揮し、全国を統一的に支配する形をとったが、しだいに先例や儀式を重んじる形式的なものとなり、宮廷では年中牛耳が発達した。その反面、地方の政治は国司にゆだねられ、朝廷が国政に関して積極的な施策をおこなうことはほとんどみられなくなった。」
※石井進他著『詳説日本史』(山川出版 P62)
992年生まれの藤原頼通は、父道長の威光もあって、元服の翌年1005年に13歳で右近衛少将となり、地方官など全く経験せずに、やがて参議(今の大臣)に出世していく。
摂関政治の特色である先例や形式重視、地方政治への消極性は、一般的には組織の持つ硬直化を示している。
そうならないためにどうしたらいいか。それを考えさせるための挿話として、名鉄の係長の話を授業でしたわけである。
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最近の研究では、摂関政治における上述の面については、それほど否定的ではない見解が示されている。
「(摂関政治は)諸国からの申請をうけて対処する受け身の政治であり、また先例のみを重視していて、積極的なヴィジョンがなかったと否定的に評価されることも多い。確かに地方なり国家なりを積極的に改革しようとしていないが、先例重視は、今日のいわゆるお役所政治でも同じで、官僚制が成熟した結果でもある。その中で、受領からの申請の審議が陣定(註 じんのさだめ 公卿の会議)の重要な部分だったことは、当時なりの国家を考えるうえで、一定の評価をすべきである。」
※大津透著『日本の歴史06 道長と宮廷生活』講談社2001年P83)
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