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 23 少年時代・学生時代1 軍国少年  02/11/17      

 昔の思い出を書き始めると、いよいよこの「未来航路」も末期的症状、という気がしないでもないが、未来へ進むためには、自分のルーツの検証もまた必要、という歴史研究の大原則を一応掲げて、少年時代の思い出について書いてみたいと思う。

 日本史クイズ編の「昭和初期」以降や、現物教材のプラモデルや、「目から鱗」の「昭和時代前半の時代は何だったか等を読んでいただいた方は、私がとくに興味を持っている分野の一つについておわかりいただいていると思う。つまり、普通の歴史の教師の平均以上に、太平洋戦争のいろいろいろなことについて興味を持っていて、しかもマニア的に詳しいとうことを。
 
 こんなところに書くと誤解を招くこと必定だが、仲間たちと話している時は、「もし自分が昭和30年生まれではなくて、大正10年生まれだったら、間違いなく軍国少年になって、海軍兵学校をでて、太平洋戦争中に、中尉かなんかで戦死したはずだ」と、法螺吹いている。

 そして戦後生まれでも、実は「軍国少年」になった。その理由は二つある。
 ひとつは、父親のせいである。
 父は、貧しい小作農家の3男坊として生まれ、15歳で満蒙開拓青少年義勇軍の一員として満州に渡り、ソ満国境地域の開拓にあたった。
 昭和20年になって、そのまま現地で召集を受け、ソ連軍戦車への肉弾攻撃(爆弾を持っての体当たり)の訓練を受けた。8月9日、ソ連軍が侵入すると「無事」捕虜となった。そして、バイカル湖畔のシベリア収容所生活4年。
 
 復員して結婚した父は、やがて生まれた子どもの私が映画館に連れて行ける年齢になると、岐阜市の繁華街、柳ヶ瀬の映画館へよく私を連れて行った。映画の中味は、私の希望とは関係なく、常に戦争映画だった。
 石原裕次郎主演の「ゼロ戦黒雲隊」とか、今は時々学校を周る演劇で見られる「南の国に雪が降る」なんてマイナーなものから、「Dデイ、史上最大の作戦」まで、ずいぶんと見た。
 小さい頃の刷り込みは恐ろしいものだ。

 二つ目の理由は、これは自分だけに作用したわけではないが、少年雑誌の影響である。
 私たちの小さい頃といえば、男の子は、少年マガジンと少年サンデーを読んで過ごした。今と昔とでは漫画の内容もグラビアもずいぶんと違って当たり前だが、昭和30年代は、週刊少年漫画ははっきりとある特色を持っていた。

 東京の神田古書店街といえば、東京近辺にすんでいなくても、どなたも御存知の有名スポットである。靖国通りと白山通りが交差する一帯、神田神保町を中心に、100数十の古書店(組合加盟店だけで160あまり)が軒を連ねる。
 その一角にある神田古書センタービルに、私は上京の度に立ち寄っては、宝物探しをしてくる。
 その2階中野書店漫画部には、少年の頃に見た少年マガジンや少年サンデーが売られている。
  ※神田古書店街の総合ウエッブサイトはこちらです
  ※中野書店のサイトはこちらです。

 1964年(昭和39年)、東京オリンピックが開催されたこの年、私は小学校4年生だった。この時、週間少年マガジンは1年間に51冊発行された。
 2002年11月、中野書店漫画部には、そのうち、34冊がそろっていた。保存状態がいいものは、1冊3500円というお宝ものもある。
 全部買うわけにはいかなかったので、お願いして表紙だけを調査させてもらった。

 ここでクイズである。
 34冊の表紙を飾ったのは、次のテーマの絵・写真である。あなたは、何が一番多いと思われるか。  

  • スポーツ選手

  • その時の人気漫画のキャラクター

  • バイク・車

  • 兵器

  • アイドルタレント

 これは、その時代に少年だった40代半ばから50代の人間にはとても簡単なクイズであるが、記憶力はいかがなものであろうか。


 神田神保町交差点西の古書センタービル、たくさんのたくさんの本屋さんが入っていて宝の山。
 中野書店漫画部はその2階にある。 
 6階には、アベノスタンプコイン社東京店があって、中は、古い絵はがきやポスターやコインの山。絵はがきの写真は、戦前や戦後直後のものは、当然著作権が切れていて、利用は自由。地券・株券もある。

 34冊の表紙の中味は、右のようになっていた。 

1

未来兵器(空想兵器)

20冊

2

1964年当時の兵器  

3冊

3

太平洋戦争中の兵器   

1冊

4

プロレス選手(アントニオ猪木)

1冊

5

プロ野球選手(王選手) 

1冊

6

未来カー  

1冊

7

未来飛行機 

1冊

8

忍者 

2冊

9

ロボット 

1冊

10

バイク

1冊

11

漫画主人公

1冊

12

時代劇TV主人公(隠密剣士)

1冊

 戦争の兵器が3分の2近い24冊を占め、もちろん、アイドルタレントなどはゼロである。(このころは、少年のアイドルとなる少女タレントはいなかった。)

 父の薫陶を受けて「軍国少年化」していた、私が、これらの漫画雑誌からさらに多大な影響を受けたのは、当然のことであった。

 このころの少年の中には結構見られたのだが、私も含めて彼らがはじめて作ったプラモデルは、当然、太平洋戦争中の飛行機・軍艦だった。
 自分の場合は、はじめて独力で組み立てたのは、700分の1サイズほどの小さな「航空戦艦伊勢」だったと記憶している。

 ちなみに、週刊少年マガジンの表紙は、1966(昭和41年)年までは、全く同じ傾向だった。
 変化が訪れたのは、1967年からで、表紙には、スポーツ選手・珍しい動物・建物・自然等も登場し、多種多様となった。
 中野書店には、1970年のものが12冊売られていたが、まだその中に、アイドルタレントは含まれていない。
 1971年の19号には、アイドルタレントが登場する。(これが初登場かどうかは、全冊そろっていないので、確認できない)

 誰かと思う?
 これがなんと、レモンちゃん、落合恵子(若い人は知りません)である。本物持っているけど、ここに掲載すると、明らかに著作権違反になるので、ご希望の方は、メールいただければお送りします。(誰が欲しがるそんなもの)

 1972年から73年になると、まず少年サンデーに、そして少し遅れて少年マガジンにも、1年間分の表紙の3分の1以上は、アイドル女性タレントが笑顔で登場し始める。(ちなみにこの2年間で登場回数が多いのは、誰か?アグネス・チャン、天地真理、浅田美代子です。なんと小柳ルミ子も登場します。)

 今回は、本当に何だこりゃになってしまったが、昭和30年代末と40年代末とでは、こんなにも大きな違いがあったのである。
 あなたは、どちらに郷愁を感じる世代かな? 


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