ひとつ前の項目へ なんだこりゃメニューへ 次の項目へ

 22 女、妻、母W 長男K誕生日    02/11/08       

 北朝鮮の拉致問題は、この時点で依然として予断を許さない難しい状況となっている。拉致被害者の「願い」はかなうのか?

 このニュースをすごく客観的に見ていて思うことがある。「願い」とは誰の願いなのかと。
 当初の予定と違って、帰国した5人の拉致被害者が、北朝鮮へ戻らないという決定が政府によって行われた。その直前、ある被害者の心境が新聞に報道されていた。
 「北朝鮮へ再入国してはならない。」と説得する友人に対して、北朝鮮に残してきた子どもを思う拉致被害者は、かなり猛烈に反発した。そして、こうもいった。「俺たちの24年間はなんだったというのだ。」
 これは、拉致被害者の偽らざる心境だろう。日本で待ち望んだ父や母や家族から見れば、拉致被害者やその子どもたちが帰国するのは当たり前である。
 しかし、北朝鮮で、彼らがそれ以前に日本にいた以上の時間が過ぎたこともまた現実である。
 ある家族はこうもいっていた。「政府の決定という形を取ったのは、息子たちに取って幸せだったと思う。自分たちでは判断は難しかろう。また、北朝鮮政府に対する心配もあろう。日本国政府として、息子たち被害者を帰さないといってもらったのが良かった。」

 誰もが理解はできる。しかし、私は、完全にしっくりとは納得できない。なぜなら、拉致被害者は、またしても、今度は日本国政府に「2度目の拉致」をされた気がするからである。
 子どもたちは、帰ってくることができるだろうか?
 普通の日本国民なら、今現在北朝鮮にいる子どもたちが結構恵まれた状況であったとしても、このまま北朝鮮で暮らすより、日本で暮らす方が圧倒的にいい、と思いたい。私もそう思う。
 しかし、それによって動かされるのは、またしても、個人の人生である。
 おおむね、20年間生きてきた北朝鮮から、子どもたちは、日本へ連れてこられる。気の毒なことに、「3度目の拉致」が生じてしまう。やむ得ないことだとは思うが・・・・。

 先日、高校生の作文をたくさん読んだ。
 「21世紀の家族はどうあるべきか」というテーマの作文で、前半部分で現代の家族の状況あるいは問題点を指摘し、後半で望まれるべきこれからの家族像、自分が作りたい家族のイメージを描くという設定の課題作文である。
 公民科や家庭科で学習しただけのことあって、現代の家族の状況や課題については、自分の家族のこと、社会的に問題となっていること、それぞれに鋭い指摘となっている。
 自分の家族については、母と祖母の喧嘩(いわゆる嫁・姑問題)・親子の断絶・母の家事労働の負担の大きさ・父のいない家庭・祖父母の介護問題などなど。社会的な問題については、男女共同参画社会・ひきもり・家庭内暴力・結婚しない症候群・・・。
 そして、自分が作りたい家族の具体的なイメージとして高校生が上げたものは、コミュニケーションがある家族、隠し事がなく真実がいつも存在する家族、優しさに包まれた家族などである。
 では、そういう理想の家族をどうやって作るのか。

 作文は女生徒のものが圧倒的に多く、女生の側からの具体的な提案が多かった。
 その中でもとりわけ多かったのが、父と母が家庭内で平等・対等なものでなければならない、というものだった。女生徒の意見の多くは、自分が働きながら家庭を作ることを想定し、その中で、自分(母)と父(夫)がいかにうまくやっていくか、ということに思いを寄せたものであった。
 高校生の彼らに全く欠けている視点が二つあった。
 第一は、家族は、決してある日突然に生じるものではなく、今まで自分が所属していた「家族」が継続して、その延長線上に新しい家族が存在するということである。
 但し、これに関しては、家を出て、全く新しい核家族を作るということを想定すれば、ある程度無視してもいいかもしれない。(私自身は、そうであったとしても無視できないと思っているが・・・。)
 核家族を作る場合、つまり、自分たちが全く新しい家庭を作る場合に限っても、彼らの視点に欠けている部分がある。
 それが二つ目である。
 作文には父母がいて子どもがいる、という状況が自然に書かれている。
 しかし、実は、それ以前に、男が女と、女が男とそれぞれ妻と夫を持った時点ですでに家族がスタートするという視点である。言い換えれば、新しい配偶者とどんなスタートを切るかが、新しい家族のすべての始まりになっているという視点である。
 これは、書き手が高校生という状況、つまり、祖父母・父母がいて、自分は子どもの一員という現在の条件では致し方がないことであると思う。
 であるのならよけいに、おじゃまムシではあるが私たち先達は、「教育」という場を通して、それを指摘しなければならない。
 とりわけ、ほっておくと今と同じような弱者になってしまう場合が多いと予想される女生徒には、たくさんの知恵を授けておくべきだろう。
 その出発は何、といわれたら、「結婚する相手とお互い守らなければならない約束をちゃんと作って、その中に自分たちが作りたい家族像をきちんとイメージすること」かな。

 朝起きたら、妻がちょっととげがありそうな言い方で告げた。
「冷蔵庫にケーキの残りがあるから、たべやあ。」
 いつものように深夜に帰宅して寝不足である上に、低血圧人間で朝は血の巡りが極度に悪い私は、反射的になんの取り繕いもなく正直に反応した。
「ケーキって、なんの」
 妻の顔色が変わってから、やっと気が付いた。昨日10月29日は、長男Kの誕生日であった。
  Kにわびを入れると、「ああ」と素っ気ない返事。
 高校3年生の男の子なら、こんなもんだろうという返答だった。そういえば、大学入試の模擬テストが続くから、プレゼントを買いに行くヒマもないというので、早々と10月の初旬にプレゼントのMDプレヤーを買いに行ったことがあったっけ。
 本人Kのこだわりのなさと、妻の厳しい顔色。
 突然に悟りが開けた。
 子どもの誕生日は、父親にとってはただの子どもの誕生日なのだろうが、母親にとっては、子どもを生んだ日になる。ほぼ1日産院で苦しんだ記念日で、そして、新たな業を背負ってスタートした記念日なのである。
 よく、TVドラマで、ママがこどもの誕生日に早く帰ってこないパパを怒る理由は、「子どもを大事に思っていない」に加えて「妻を大事に思っていない」ということだったんだ。
 
 そういえば我が家でも、子どもが小さい頃は毎回毎回、ケーキの蝋燭の火が消えあとに、「この子が生まれたときは・・」という会話をしたものだった。
 誕生日は出産記念日、もう忘れないでおこう。

 記念日には、二人の原点を確認すること。
 これも約束に入れておく方がいい。  


ひとつ前の項目へ なんだこりゃメニューへ 次の項目へ