日記・随筆 2023-01 | ||||
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156 2023年07月01日(木)復活の記 なぜ再開したか |
◆中断の理由 |
写真-01 2013年度の夏の高校野球岐阜県大会の開会式(撮影日 13/07/12) |
旧版「未来航路」を中断したもうひとつの理由は,病気です。しかも二つも。 |
Ⅱ 復活を促す要因 |
【補足】「教職50年」の意味 上記のⅡの部分に.「教職50年」と書きましたが,同期の友人A子先生から, 「M先生,計算が合いません。教職50年は多すぎません?」 「さすが,A子先生。実は少しまやかしがあります。本来は,38年+8年=46年です。しかしこれではインパクトが弱いので,ちょっと思いを巡らしました。大学4年間、長短こそあれ毎年,中学生相手に家庭教師をやっていました。「教師」ですから,カウントに入れても良いのではないかと勝手に思いました。音楽バンドで言うのなら,メジャー・デビューの前のインディーズの時代となるでしょう。 かくて,「教師歴50年」となりました。 またまた余談ですが,家庭教師で教えた中学生は延ベ4人。 そのうち,野球部員としても活躍したT君は,50年後の現在は,地元の中堅企業の2代目社長として活躍中です。 2年間教えた私の下宿先の向かいの家のMちゃんは,無事地元京都の名門女子大学の付属女子高校に合格しました。この子の場合は.本人の実力以上の力が出たと思います。何と言っても彼女は私の教え方を気に入り,毎回の「授業」を楽しみにしていましたから。 彼女のお母さんは,お世話になったお礼にと,京都高島屋で態々自分で蒸して食べるタイプの肉まんを買ってきてくれました。なんと5個も。ところが,私の下宿には「蒸し器」なる気の利いたものはありません。一計を巡らし,電気ポットの上部に針金で懸架装置を作ってぶら下げる方法を考案し果敢に挑戦しましたが,大方の予想のとおり肉まんは湯中に落下しました。 毎回工夫しましたが革命的な進展はなく,30分後には肉まんの五つの「水死体」が残りました。もちろん食べました。 Mちゃんはその後名門女子大に進学し,1983年には京都府の教員採用試験に合格し,中学校の教員になりました。風の便りに,「家庭教師の先生との勉強が面白かったから自分もそう教えたくて先生になった」と聞きました。 もしかしたら,彼女は,私が「教師として」他人の人生に影響を与えた最初の人かもしれません。 その少女も今年で定年退職となるはずです。長い時間が流れました。 |
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