このクイズを作成した理由は、次の新聞記事が掲載されたことによります。
「昨年検定に合格し、今春から使用される山川出版社(東京都千代田区)の高校日本史教科書「詳説日本史」が、南京事件の犠牲者数として「40万人」説を記述していた問題で、同社がこの記述の削除を文部科学省に申請し、認められていたことが5日、分かった。これも含め、同教科書の自主訂正個所は計563カ所に上っており、検定制度のあり方をめぐっても論議を呼びそうだ。」
※『産経新聞』(2月6日)より
※教科書の該当個所は右の引用のとおりです。
石井進他著『詳説日本史』(山川出版 採用見本版)P330 脚注部分
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新学習指導要領が実施される2003年4月からの教科書の検定通過版。各学校等へ採用見本として送付されている。
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「占領から1カ月あまりの間、に日本軍は南京市内で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民(婦女子を含む)及び捕虜を殺害した(南京事件)。犠牲者数については、数万人〜40万人に及ぶ説がある。なお、外務省には、占領直後から南京の惨状が伝えられていた。」
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現行発行本(2004年)では次のように修正されています。
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「南京陥落後の前後、日本軍は南京市内で略奪・暴行をくり返したうえ、多数の中国人一般住民(婦女子を含む)及び捕虜を殺害した(南京事件)。南京の状況は、外務省ルートを通じてはやくから陸軍中央部にも伝わっていた。」
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ここでは次の二つのことが問題として考えられるでしょう。
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南京事件の犠牲者数にはそんなに説があるのか。
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教科書というものは検定を経たあとでもそれほど間違っているのか。
まずは、<1>についてです。
南京事件に関する「論争」を簡単に紹介します。
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南京事件そのものは、1937年12月の日本軍の南京占領時に起きたとされているが、その時点では、日本国民一般はその事実を知ることはできなかった。
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オーストラリア人のジャーナリスト、H・J・ティンバレーが1938年に出版した『戦争とはなにか−中国における日本軍の暴虐』の中には、「中国軍の死傷者は上海・南京戦全体を通じて少なくとも30万人、一般市民の死傷者も同じくらい」と叙述。
情報の根拠は、当時南京市の難民区を管轄していた南京難民区国際委員会のアメリカ人、ドイツ人など外国人(牧師など)から得た書簡等である。ティンバレー自身は事件の時上海にいた。
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アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーが1941年に『アジアの戦争』を著し、「30万人の人民が殺された」と記述。これが、アメリカで売れ、日本人の知らない間に、アメリカ人が南京事件のことを知るきっかけとなった。
しかし、スノー自身も南京で事実を確認したわけではない。
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1948年の極東国際軍事裁判(東京裁判)では、はじめて公の場で「大虐殺」の「事実」が明らかにされ、犠牲者は20万人以上とされた。
しかし、実際には、その数字に確実な裏付けがなく、法廷として当初認めたのは6万2000人だった。ところが、裁判で死刑となった当時の支那派遣軍総司令官松井石根大将の論告求刑では、正式に10万人となっている。
20万以上という数字は、中国側の検察官が出してきた数字である。
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1971年『朝日新聞』は本多勝一氏のルポ「中国の旅」を発表。
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南京市の虐殺記念館。巨大な建物だそうです。
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虐殺のレリーフ。この2枚の写真は、未来航路上海特派員のT嬢からの提供。
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(ルポは、1972年朝日新聞社から『中国の旅』として出版される。現在は朝日文庫版がある。)
数名の生存者の証言と写真からその状況を伝え、犠牲者は約30万人と叙述。
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ところが、本多氏の掲載した写真や証言等に疑問な点や誤りが見いだされ、たとえば、1973年の鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』(1973年文芸春秋社)のように、「大虐殺」ではなく、「数万人の犠牲者」と言う説も登場。
さらに、田中正明、山本七平、渡辺昇一氏らによって、「まぼろし説」・「虚構説」が展開された。この結果、70年代から80年代にかけて、「南京大虐殺」論争が続く。
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一方、南京市文史資料研究会が編集した書物の南京大学歴史系編著の「日本帝国主義の南京における大虐殺」(1979年)では、犠牲者は40万人と記述。
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1985年中華人民共和国政府は、南京の虐殺記念館「侵華日軍南京大屠殺死遭同胞記念館」の入り口に、「遭難300000」と掲示。犠牲者30万人説を公式見解とする。
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1989年旧陸軍将校の会「偕行社」(かいこうしゃ)は、機関誌「偕行」の連載企画により、旧軍関係者に情報の提供を求め、虐殺否定を試みた。
しかし、逆に立証する証言が集まり、1989年の偕行社編『南京戦史』では、捕虜・市民合わせて、3万2千人と記述。
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1982年、洞富雄氏は『決定版・南京大虐殺』を著し、実証的な研究から、犠牲者の数を「南京城内外で死んだ中国軍民は、20万人をくだらなかったであろう」と記述。
この説が、現在の日本では比較的多くの研究者から支持されている。
このような状況ですから、教科書の記述も、会社によってまちまちです。2003年4月から使用される教科書の、採用見本段階での記述は次のようになっています。
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犠牲者数
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教科書数
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会社名・教科書命名
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数字の記述なし
(「多数の住民」等の表現も含む)
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12
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清水書院 世界史A
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山川出版 要説世界史(A)
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山川出版 現代の世界史(A)
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第一学習社 世界史A
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東京書籍 新選世界史B
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帝国書院 新編 高等世界史B
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山川出版 詳説 世界史(B)
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山川出版 高校世界史(B)
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第一学習社 高等学校 世界史B
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清水書院 日本史A
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明成社 高等学校 最新日本史
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数千人から30万人
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1
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山川出版 現代の日本史(A)
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数万人から30万人まで諸説
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1
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実況出版 世界史A
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10数万人以上
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1
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東京書籍 日本史A 現代からの歴史
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20万人
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1
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実教出版 高校日本史A
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20万以上とする説が有力。中国は30万人としている。
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2
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三省堂 世界史A
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実教出版 世界史B
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数万人〜40万人
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1
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山川出版 詳説日本史(B)
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山川出版の『詳説日本史B』だけが、突出して多かったことが分かります。
これが公表されると、日本大学教授秦郁彦氏、東京大学教授藤岡信勝氏、教科書研究家上杉千年氏などから批判がなされました。とくに上杉氏からは、
「40万人説がないわけではないが、これを教科書に紹介することは、理科の教科書に、<月に兎がいるという説もある>と紹介するようなもので、正直言って実証主義を誇るあの山川出版社が何を血迷って・・・」と酷評されていました。
こういう事情からでしょうか、今回の修正となったわけです。
※上述のデータや引用に関しては、一つの書物からではなく、考え方の異なるできるだけ多くの書物を
参考にしました。以下に掲げます。
・秦郁彦著『現代史の対決』(文芸春秋2003年)
・秦郁彦著『昭和史の謎を追う 上』(文芸春秋1993年)
・佐々木隆爾編『争点日本の歴史6 近・現代編』(新人物往来社1992年)
・藤原彰他編『日本近代史の虚像と実像3 満州事変〜敗戦』(大月書店1989年)
・藤原彰著『南京大虐殺』(岩波ブックレット1985年)
・鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』(文芸春秋1973年)
・本多勝一著『中国の旅』(朝日新聞社1972年)
<2>についてです。
教科書の訂正については、つい12月も、東京書籍の中学校の教科書が、例の「新潟県中里村雪国はつらつ条例」事件で、注目を集めたところです。
東京書籍の場合は、すでに使用している教科書ですから、修正編を出すやらいろいろ大変なことになっています。
高校の教科書の場合は、2002年に検定に合格し、2003年4月からの使用に向けて各高校で採用教科書が決められたところです。
その場合の段階での訂正は、次のように取り扱われます。
1989年発令の「教科用図書検定規則」(文部省令第20号)には、次のようにある。
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それが563カ所もあったということです。文部科学省の検定を通っていて、どうしてこんなに間違いがあるの?
私なりの解答です。
文部科学省の検定は、とくに社会科・地歴公民科については、いわゆる普通の間違い指摘ではなく、極めて「政治性」の強いものになります。その面、普通の間違いが通り過ぎてしまいます。そもそも検定は、普通の「校正」とは違うものなのです。
このあとも、使用していて、東京書籍の中学教科書のように、続々とおかしな点がでてくるのが通例です。
※山川出版の『詳説日本史』の誤りについては、上記、秦郁彦著『現代史の対決』に詳述されています。
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