2001年9・11テロ事件以来、イスラーム教に対する関心が高まっています。
そもそも一般的日本人にはあまりなじみのないイスラーム教ですが、それゆえ、教師の浅い知識のために、誤った情報に基づくステレオタイプな理解に生徒を誘導してしまう恐れも考えられます。
それを防ぐため、教える側自身、これまでの知識をチェックして、できるだけ、正確にイスラムの世界を伝えたいものです。そう思って、教科書に書いてあることを、あらためてちょっと深く勉強し直してみました。
次の項目について説明します。
1 クルアーン入手先
2 クルアーンは誰がつくった?
3 アザーン及びクルアーンの読誦
4 ユダヤ教・キリスト教・仏教
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写真中央の小さな白いものが穂高書店の看板です。とても地味な書店です。手前の、東西に走るすずらん通に面した茶色のビルの脇に入口があります。 |
1 クルアーン入手先 | 先頭へ |
クルアーンの日本語訳はいくつかの版が存在します。
しかし、アラビア語の本物のクルアーンは、本来イスラーム教徒のためのものであり、普通の日本人がそこらの本屋で購入できると行った安易なものではありません。
これはクルアーンを、例外的に一般向け販売をやっている東京神田の穂高書店で購入しました。
価格は、3200円。
電話等で注文することもできます。
※穂高書店
東京都千代田区神田神保町1−15 杉山ビル4F
03-3233-0332 ウェブサイトはこちらです。
2 クルアーンは誰がつくった? | 先頭へ |
高等学校の教科書には、クルアーンについてこんな説明がなされています。
「この町に生まれたクライシュ族の商人ムハンマドは、610年頃唯一神アッラーの言葉をさずけられた預言者であると自覚し、さまざまな偶像を崇拝する多神教にかわって、厳格な一神教であるイスラーム教を唱えた。(中略)
イスラーム教の経典『コーラン』は、ムハンマドにくだされた神の言葉の集成であり、アラビア語でしるされている。」
※佐藤次高・木村靖二・岸本美緒著『詳説世界史』(山川出版 2003年)P102
このページには、ムハンマドがどういう人物であるか、また、クルアーンが何であるか説明されていますが、では、クルアーンは上記の表現でいうと誰が「集成」したのでしょうか。
次の選択肢の中から選んでください。
1 ムハンマド自身
2 ムハンマドの周囲にいた誰か
3 死後ずっと後世になってまとめられた
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クルアーンの第1章 開扉(または開端)の章
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において、
万有の主、アッラーにこそ凡ての称賛あれ、
慈悲あまねく慈愛深き方々、
最後の審(さば)きの日の主宰者に。
私たちはあなたのみ崇め仕え、あなたのみ御助けを請い願う。
私たちを正しい道に導きたまえ、
あなたが御恵みを下された人々の道に、
あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。
※赤字部分はアッラーを意味する
「日亜対訳・注解聖クルアーン」(日本ムスリム教会発行・第7刷)等より
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正解は、2です。
教科書にも書かれているように、ムハンマド自身は、神ではありません。イエス・キリストや、仏陀のように神扱いも受けません。
彼は、唯一絶対神アッラーのことをば人々に伝える、「預言者」(神の言葉を預かっている人)です。
のちにクルアーンにまとめられたのは、ムハンマドを通して語られた神の言葉、啓示なのです。
ムハンマドが神の啓示を初めてうけたのは、彼が41歳の時です。そのあと、63歳で死ぬまで、22年間にわたって啓示を受け続けました。
ムハンマド自身は読み書きができませんでした。(これは意外です)その結果、神の啓示は、周囲にいた啓示を記録する人々によって記録されました。
その数は24〜26人と伝えられています。彼らはナツメヤシの葉や石版、あるいは動物の皮などにクルアーンを記録しました。また預言者ムハンマドのもとには多くのハーフィズ(クルアーンの暗誦者)たちがいました。啓示の都度記録されたクルアーンは預言者の生存中は彼の家に保管されていました。
そして、632年の彼の死後まもなく、それらは現在あるような形に収集され、配列されたのです。
さらに、650年代の初めに、3代目カリフであるウスマーンのもとで学者たちが正式に編集しました。 これが現在まで続く正典とされています。
この点は大事ですが、クルアーンには、ムハンマド自身の言葉は含まれていません。すべて、神の言葉です。ムハンマドはあくまで神の預言者なのです。
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