現物教材 日本史10

近代 012 明治時代の地券                          |現物教材:目次:日本史 |

 今回は日本史の明治時代の教材としてお馴染みの地券です。

 地券は東京の神田の古本屋街などでは簡単に手に入りますが、私が住むような地方都市では、そう簡単ではありません。

 昔から持っている地元の古本屋さんで買った地元の地域の地券以外に、今回は、またもやヤッフーオークションで、山梨県の地券を手に入れました。
 代金は、5枚で700円でした。但し、宅急便の着払いでしたので、送料が880円もかかってしまいました。(送料の方が高い、(--;))
 それでも、1枚たった316円の貴重な本物現物教材です。

今回購入したのは5枚セット

左の1枚の拡大 明治11年の発行

 

 表面に何が書いてあるかは、右上のABCDの各部分について下で説明します。

地租の金額が書かれています。最初は、地価の百分の3(3%)の7厘、明治十年からは、百分の貳ヶ半(2.5%)の六厘です。

この土地の面積は田6歩(今で言う6坪、つまり3.3平方b×6)で、その地価は貳拾貳銭貳厘(22銭2厘)です。

この土地の所有者は、中村常右エ門さんです。地券は土地所有者に発行され、小作人には与えられません。

まずは土地の所在地です。この地券は、甲斐国の山梨群諏訪村成沢の第千五百四拾3番の土地のものです。

 
地券については、高校の教科書の明治維新後の地租改正のところで登場します。
 地租改正は、近代的な税制や土地所有制度を確立した点ばかりか、のちに拡大していく寄生地主制を生む原点となったという意味においても、極めて重要な改革です。

 ここでは、地租は地価の3%に定められたからくりを説明します。

 まずは、「地租」とはなんですかという点ですが、これは意外な盲点で、地租とは何かを授業のはじめに教える日本史教師は少ないと思います。(初めから生徒がある程度のことを知っていると錯覚しているのが高校教師の欠点ですね。自戒自戒。)

 地租とは土地からの貢租のこと、つまり簡単言えば今までの年貢のことで、それを別の言い方をしただけです。この時代はなぜ地租を取ることが大事かと言えば、今とは違って、国民のほとんどが農民で、農業こそが国民総生産のほとんどを占めています。しかも現代と違う点は、生産物の中心の米は、農民が自家消費するものが大半です。
 つまり、法人税を払う会社も数なければ、所得税を払う会社員少なければ、商品作物を売る農民もそう多くはいなかったのです。

 この段階での国家財政を支える租税は、江戸が明治に変わったいえども、年貢=地租以外に考えられませんでした。
 ちなみに、明治維新からしばらくの期間の国税の税別収入のランクでは、1位は地租、2位はなんだか分かりますか?
 答えは、関税収入です。

 そのため、昔のように、年貢は収穫の4割とか決める代わりに、地租を地価の100分の3(つまり3%)としたのです。
 ということは、地価の算定が農民の払う負担を決めることになります。本州の普通の自作農の場合、次の算定で決められました。
 
田地1反(段)約10アール=1000平方bを所有する場合

米平均収穫量

1石6斗(1石は米2.5俵)

同上平均売却代金

4円80銭(1石=3円とする)

農民の想定売り上げ高

種籾肥料費

72銭

生産のための経費

農民の利益

4円8銭

売り上げ−種籾肥料費

利益の構成比

地租3割
村入用(村への税金費)1割
農民取り分6割

地租の分は、利益の3割の1円22銭4厘、

 

 地租は、右下の欄の、1円22銭4厘という金額となるように算定されました。
 つまり、3%が1円22銭4厘ですから、地価は40円80銭です。
 この地租額は、農民の経営の状況がどうだとかは関係なく、それまでの政府の年貢収入と同等な収入となることを目標として設定されました。

 農民は、地租と村入用(村費)とで、利益4円8銭の4割にあたる、1円63銭2厘を支払うことになるのですが、これは、想定売上高(収穫)の34%(1円63銭2厘÷40円80銭)となります。つまり江戸時代ふうに言えば、収穫の34%ということになり、江戸時代とほぼ代わらない負担となりました。
 政府の収入が代わらないように設定してあるのですから、農民の負担も代わらないのは当たり前です。

 このため、明治新政府になって、貢租負担が軽減されることを期待した農民は、この地租改正に対して反対行動をおこし、各地で地租改正反対一揆が起きました。
 
 このため、1877(明治10)年には政府は、地租を3%から2.5%へ一気に6分の1も引き下げています。(農民から見れば、0.5%下がったのではなく、16.7%下がったのです。)

 上の地券は、明治11年の発行ですから、明治10年の変更後の金額も書いてあります。
  ※説明文中の「百分の貳ヶ半」は、2.5%のこと。

 この地券ですが、自分は地元のものを持っていますから、ここに掲載したものについては、お譲りします。
 送るとまた送料がかかっちゃいますから、岐阜県内に住んでいる方は、何かのついでに私の職場までいらっしゃった時や私がそちらにおじゃました時に、お渡しします。
 詳しい方法については、メールをいただければ幸いです。