現物教材 日本史10 |
近代 012 明治時代の地券 |現物教材:目次:日本史 | | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回は日本史の明治時代の教材としてお馴染みの地券です。
表面に何が書いてあるかは、右上のABCDの各部分について下で説明します。
地券については、高校の教科書の明治維新後の地租改正のところで登場します。 地租改正は、近代的な税制や土地所有制度を確立した点ばかりか、のちに拡大していく寄生地主制を生む原点となったという意味においても、極めて重要な改革です。 ここでは、地租は地価の3%に定められたからくりを説明します。 まずは、「地租」とはなんですかという点ですが、これは意外な盲点で、地租とは何かを授業のはじめに教える日本史教師は少ないと思います。(初めから生徒がある程度のことを知っていると錯覚しているのが高校教師の欠点ですね。自戒自戒。) 地租とは土地からの貢租のこと、つまり簡単言えば今までの年貢のことで、それを別の言い方をしただけです。この時代はなぜ地租を取ることが大事かと言えば、今とは違って、国民のほとんどが農民で、農業こそが国民総生産のほとんどを占めています。しかも現代と違う点は、生産物の中心の米は、農民が自家消費するものが大半です。 つまり、法人税を払う会社も数なければ、所得税を払う会社員少なければ、商品作物を売る農民もそう多くはいなかったのです。 この段階での国家財政を支える租税は、江戸が明治に変わったいえども、年貢=地租以外に考えられませんでした。 ちなみに、明治維新からしばらくの期間の国税の税別収入のランクでは、1位は地租、2位はなんだか分かりますか? 答えは、関税収入です。 そのため、昔のように、年貢は収穫の4割とか決める代わりに、地租を地価の100分の3(つまり3%)としたのです。 ということは、地価の算定が農民の払う負担を決めることになります。本州の普通の自作農の場合、次の算定で決められました。
地租は、右下の欄の、1円22銭4厘という金額となるように算定されました。 |