現物教材 文化1

001  geishaチョコ、geisha缶詰、芸者                  |現物教材:目次:現代社会・文化へ

 geisha については、先に一度説明したことがあります。 まだご覧になっていない方はこちらへ。 

「現代社会クイズ 世界の文化編1102」へ 
 
 外国の方に、日本を代表するイメージは何かと尋ねたとしましょう。
 その答えは、現代では、どこの国の人に尋ねるか、どの世代に人に尋ねるか、によって、いろいろなものとなるはずです。
 東南アジアやアフリカの国では、超人気を博したTVドラマ「おしん」のイメージが多いかもしれません。
 今の中国の子どもたちには、「ポケモン」や「クレヨンしんちゃん」になるかもしれません。
 いきなり脱線ですが、未来航路上海特派員の報告では、クレヨンしんちゃんが「ぞーさんポーズ」して可愛いチンポを見せるところは、なんとモザイクがかかるそうです。なんと健全な国でしょう、中国は!!

 しかし、明治維新以後日本が国際社会にデビューしてこの方140年余、やはり、日本を代表するステレオタイプのイメージは、やはり、「冨士山、腹切り、寿司、芸者」です。

 今世界に、「geisha」というブランド名の有名な商品が二つあります。
 それが、下の二つです。

Geishaブランドのチョコレート

Geishaブランドの缶詰


1 フィンランドのチョコレート geisha 

 左の商品は、フィンランドの御菓子メーカー、Fazer社の商品です。
 HPによれば、この会社は、Karl Fazer という人物が、1891年9月7日に、フィンランドの首都ヘルシンキで開業した、フランス・ロシア風カフェを起源としています。 
 Fazerは、1894年にはチョコレートの製造を始めました。
 したがって、この会社は、現在まで、100年以上の歴史をもっていることになります。

 この会社が、geishaというブランドのチョコレートの製造を始めたのは、1908年のことです。
 この3年前、1905年には、日本海海戦が起こり、日露戦争が日本の「勝利」で終わっています。
 それ以来、Fazerはチョコレートを始め、各種のGeishaブランドのお菓子を作り続けて、現在に至っています。
 ※Fazer社のホームページはこちらです。
 
 本当は、Fazer社に、なぜgeishaをブランド名をしているのかを公式に尋ねたいところですが、HPにはe−mailアドレスが掲載されていませんので、今のところはできていません。
 この会社は、ヨーロッパ各地に拠点を設け、菓子類の生産・販売を行っています。
 Yahooの英語版で、「Fazer」を検索すると、ヨーロッパ各国のFazerが発見できます。 

 右の写真は、2004年3月に私が直接購入したGeishaブランドのお菓子です。左はチョコバー、右の真ん中は、ハッカ菓子です。

 FazerのHPには、オンラインショッピングのサービスはありませんでした。
 そこで、「Finnish Food Network」という、フィンランドの食品のオンラインショッピングサイトを見つけて、ここで購入しました。
 またまた余談ですが、finish というよく知っている単語に、n をダブらせて、
finnish

 にすると「フィンランド」のという形容詞になるのですね。知りませんでした。(^.^)
 ※「Finnish Food Network
   のサイトはこちらです。

 価格は、チョコバーが1個1.45、ハッカ菓子は、0.70、そして板チョコが1.80です。
 価格の単位は、もちろん、ユーロです。
 それぞれ2個ずつですから、合計7.90ユーロの買い物です。支払いは、カードでやりました。

 以前にアメリカkら商品を送ってもらう時、至急の航空便にしてえらい出費となった経験がありますので、今回は、エコノミーshippingにしました。
 それでも、輸送料金に12.50ユーロもかかってしまい、本体より高くなってしまいました。
 合計、20.40ユーロです。
 クレジットカードの換算率は、1ユーロ=138.481円で、日本円にして、2825円の買い物でした。
 
 しかし、届くまでの日数は意外と短く、3月7日に注文して、2週間後の3月22日には届きました。エコノミーshippingというのは、船便かと思っていましたが、そうではないようです。

 いずれにしても、フィンランドの会社の商品をネットで購入して、僅か、2週間余で日本の岐阜の私のもとに届くなんて、奇跡的です。こんなことで驚くなんて、古い考え方でしょうか?
 
 おもしろいのは、その梱包の箱です。
 こういう時のために、自社製の梱包用の箱があるのかと思えば、そうではありません。
 この箱は、携帯電話の箱です。
 この製品の製造会社名は、右の上に水色で逆向きに印刷されています。
 SIEMENS。
 そうです。あのジーメンス事件のジーメンス社の携帯電話の箱でした。
 


2 Kawasho の缶詰 geisha

 さて、世界で有名なgeisha ブランドの2つ目は、geisha印の缶詰です。

 これは、アメリカのスーパーマーケットなどでは大変ポピュラーな缶詰で、まぐろ缶、カニ缶、サケ缶、エビ缶、はまぐり缶などの魚缶詰と、オレンジなどのフルーツ缶詰があります。

これは日本での販売品

これは、デトロイトから送ってもらったフルーツ缶詰のラベル。原産国表示は、product of China です。
アイオワの友人は、「魚よりもフルーツ缶詰めのほうがポピュラー」と言っていました。
 

 
 デトロイトにいる友人(日記に登場するデトロイト特派員)にメールしたら、「家にもあります」と言う返事が来ました。
「表示は、made in Thailand ですよ。」

 ヤッフーの英語版を使って、geisha can で検索すると、レシピの紹介のページなどでたくさん登場します。使用する食材として、geisha tunaなどの表現がたくさん使われています。
 
 さて、この缶詰は、どこの国の製品でしょうか。
 geisha缶は、geishaチョコほどは有名ではありませんが、それでも、いくつかのHPで紹介されています。
 
 ところが、そのすべてが、「アメリカなどで売られている」と表現していて、さも、アメリカの製品という扱いをしています。

 私も最初はそう思っていましたが、よく調べてみると驚き桃の木、販売元は、KASHO CORPORATION、つまり、川商株式会社、日本の会社です。

 川商は正確には川鉄商事株式会社、つまり、川崎製鉄の商社として発足した会社です。
  ※川鉄商事のHPはこちらです。 
    TEL 03−5203−5055

 川鉄商事のサイトには、扱っている商品の紹介があります。その中に当然、geishaブランドの缶詰の紹介もあります。
 それによると、このブランドでの缶詰の販売は、1911年から始まっています。最初はカニ缶詰でした。

 川鉄商事の担当者に電話して、いろいろ聞いてみました。
「1911年というのは日露戦争後の明治末年の発売ですが、その時にgeishaというのをブランド名に使うことは、何か特別な意味があったのですか。」
「それは、最近NHKのテレビからも取材を受けましたが、現在では、詳しい理由はわかっていません。普通に考えて、当時、日本をイメージするものとして冨士山、芸者は、すでに欧米諸国を中心に定着しつつありましたから、そこに便乗したものと思われます。」
「現在どのくらいの国に売られていますか。売上高はどのくらいですか。」
「アメリカ、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、アジアの国々、およそ50カ国ほどに輸出されています。売上高は、200億円ぐらいです。」
「今でも日本の国内で製造しているのですか。」
「いえ、今はごく一部のものを除いては、ほとんど外国の工場で生産されています。東南アジア、アフリカなどさまざまな国です。」

「日本では販売されていないのですか。」
「日本でも一部販売されています。青山に紀ノ国屋という、東京の人なら誰でも知っているスーパーマーケットがありますが、そこでは日本版を売っています。」

 早速調べて、発見しました。
青山・紀ノ国屋オンラインショップ  はこちらです。
 
そのオンラインショッピングで購入したのが、上の写真のマグロ缶です。
 マグロ水煮も、マグロ油漬けも、ともに370円です。送料が700円でした。 


3 現代の芸者さん in 岐阜

 上の二つの商品は、残念ながら、歴史的にその由来を明確にすることはできません。
 
 一般的には、次の考えが妥当でしょう。
 geishaチョコは1908年、geisha缶詰は1911年発売開始です。
 日本史の中で眺めてみれば、日露戦争後の日本の地位の向上が背景にあり、その中で、すでに有名になりつつあった、geisha をブランド名に利用したということでしょう。

 その不確かさを補うため、普通の教員が気が付かない、もうひとつのネタを紹介します。
 今現在、日本の町で、芸者さんはどうなっているのでしょう。私は普通の教員ですから、芸者さんなどというのは、実際に接したことはありません。

 自分が住む、岐阜の町の状況を調べてみました。
 インターネットの2003年11月30日付け、岐阜新聞に、「芸者の世界、まずは、”一見さん”に/
岐阜芸妓組合、HP開設」という記事が載っていました。
 これによると、岐阜芸妓組合が多くの人に伝統芸能を親しんでいただくために、芸妓を紹介するHPを立ち上げたとのことでした。
 もちろん、早速そのHPにアクセスし、さらにそこで調べた組合長さんに電話で伺ってみました。
  ※
岐阜芸妓組合  058−262−4167

 全国の芸者さんの数は、高度経済成長期をピークに、減少に転じました。
 このため、各地で、伝統芸能を守ろうとする動きが高まり、1982年には、金沢市で伝統芸能振興協同組合が設立され、また、名古屋でも、1989年伝統芸能振興会が設立されました。

 岐阜でも状況は同じでした。
 昭和40年代には、150名ほどの芸者衆がいましたが、それをピークに減少し、昭和末年には30人を切るほどににまでなってしまいました。
 このまま放っておくと伝統芸能を継承する人物がいなくなってしまうという危機感から、芸者衆は、商工会議所などに支援を陳情しました。
 この結果、岐阜の財界人が支援に立ち上がり、1992(平成3)年に岐阜芸妓振興会が発足しました。
 これは、財界からの援助で、芸妓の養成のためのプログラム、日本舞踊・三味線・小唄などの稽古事の費用を援助し、また、「岐阜おどり」の開催を支援するものです。

 組合長さんの
熊沢順子さん(芸妓名は佳那恵さん) のお話です。
「振興会のおかげで、若い人が、しっかりお稽古をしながら、見習いから本物の芸者になることができるようになりました。稽古のお師匠さん方は東京や大阪から来ていただいています。」
「どのくらいで独り立ちできるのですか。」
「踊りと唄と三味線を、3年ほどみっちりやれば、独り立ちできます。2年間芸者をすれば、30万円の費用で、置屋の株を入手できますから、それからは、自分一人が置屋として営業できます。」
「若い方でも収入はいいのですか。」
「ええ、それは、むしろ、若い芸妓の方がお客さんにかわいがってもらえますから、収入は多いですよ。」
「芸者になるのに特別な資格はいりませんよね。」
「もちろん、必要ありません。三味線や踊りが好きであることが、何よりの条件です。」
「若い方はたくさんいるのですか。」
「振興会ができる前は、20代・30代はほとんどいませんでしたが、今は、20代が3名、30代が4名います。組合に加盟している芸妓は、全部で34名ですから、若い人の比率は他の所の組合と比べて多い方です。
 ただし、ここ2・3年は、新入りはいません。また、振興会を支えてくださる企業も、バブル経済の末期だった発足当時は250社ほどありましたが、現在では、150社ほどに減っています。
 明るい兆しの中にはありますが、順調というわけではありません。
 せいぜいご贔屓にお願いします。」

 ちなみに、お座敷の花代(ギャラ)は、1席(2時間)18,000円、追加1本(30分ごと)3,000円 とのことです。
 みなさんいかがですか。

 ※岐阜芸妓組合のHPはこちらです。 
 
追伸 組合長さんは、geishaチョコはご存じでしたが、geisha缶詰はご存じありませんでした。