自分のルーツを話すことは、恥ずかしいことはもちろん、手品師の手品の種明かしのようなもので、その後の生活がしずらいことおびただしい。それでも、また敢えてやってしまおう。
2002年11月の今、NHK総合TVで深夜11時からに「精霊流し」という連続TV小説をやっている。時間が遅いし、朝・昼の半年もののTV小説にに比べれば、こちらは、僅か15分×4週間=16回分のマイナーな番組であるから、世間の評判などあまりない。
原作は、小説「精霊流し」。タイトルからしてもうおわかりと思うが、歌手さだまさしの自伝的小説を連続ドラマ化したものである。
油断すると午前様になってしまう平日の帰宅だが、この2週間は、必死で切り上げて、おおむね毎日見ている。私にとっては、「さだまさし」は特別な存在だからである。
教師というのは、基本的に人前でしゃべる職業である。
聴衆がわくわくするような「しゃべり」ができない人は、教師になるべきではないと思っている。こういうと、よく「お前は口先だけの人間を重視するのか」と批判されるが、文筆家が文章がうまくなければやっていけないのと同じように、教師はうまくしゃべれないとやっていけない。
もちろん、ここで私がいう「しゃべり」とは、話の内容・話術の両方を含めた教師としての「しゃべり」である。
人間誰しも、人生の途中で何かがきっかけで成長する
実は私は、小中学校の時分は、あまり人前には出ない、したがって、人前ではあまりしゃべるのが好きではない、得意ではない少年だった。それがある時から変わった。
さだまさしが全国的に認知された「精霊流し」の大ヒットは、1973年の末から翌年へかけてのことだった。南こうせつとかぐや姫の「神田川」のヒットの翌年のことである。この当時は吉田正美と二人のフォークデュオ、グレープとしてであった。
それ以後、「無縁坂」とかいろいろヒットがあったが、その時点では、私はまだ彼には特別な思いを抱いてはいなかった。
1975年、私が大学3年生の時、知り合った彼女がさだまさしの熱烈なファンであった。そして、彼女はその翌年、1976年2月に発売された、グレープの2枚組のLPを聞くように私に薦めた。この年にはもう解散してしまうことになる、グレープの初リサイタル(1975年東京中野サンプラザ)の模様を収録した唯一のライブアルバムだった。
これを聴いて感動した。「優しさの世代」と形容された彼の歌もよかったが、何より、曲と曲との間の彼のしゃべり、「トーク」が絶妙であった。
1976年2月25日発売の「三年坂」が思い出のアルバム。
LP2枚組で21曲しか収録されていない所に彼の魅力?がある。 |
1枚目
- オープニング〜精霊流し
- 無縁坂
- 哀しみの白い影
- 殺風景
- 風と空
- 朝刊
- ほおずき
- 縁切寺
- 笑顔同封
- 追伸
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2枚目
- 島原の子守唄
- 雪の朝
- 掌
- バンコ
- 絵踊り
- 第一印象
- さよならコンサート
- 僕にまかせてください
- フレディもしくは三教街
- あこがれ
- 精霊流し
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人前で話す時には、どんなハートで、どんな口調で、どんな間合いで話すべきか?
その目指すべき一つがここにあると思った。
大学4年生になって、ほぼ教師になることを決めた。その初夏、誰しもが経験しなければならない「教育実習」の時に、「さだまさし」流のしゃべりのまねをしてみた。生徒の感想は、おおむね良好だった。
これで自分の目指すべき方向は決まった。
同世代の男は、どちらかといえば、さだまさしの優しさを「軟弱」として拒否する人が多いと思う。男で彼や彼の歌を「好き」というと、なにか、「おたく」と見られがちである。
それでも、私は彼のハートと、歌と、そしてなによりも「しゃべり」に惹かれた。
教師になってからファンクラブにも入り、岐阜や名古屋のコンサートには、これまで合計して、20数回は出かけて、歌としゃべりを聞いた。時には、これは冗談ではなく本当の話だが、あまり好きではない曲調の歌の時は居眠りし、トークだけを聞いた時もあった。
あまりの面白い話しに、思わず手帳にメモを取った時もあった。コンサートでメモを取る人も取られる人も珍しかろう。
レコードやテープ、CDも買ったが、他の歌手とは異なることに、家の本棚には、彼のコンサートにおける「しゃべり」を集めた本も何冊か並んでいる。
※『噺歌集』(はなしかしゅう)というしゃれた名前の付いたものほか。
さだまさしのコンサートのしゃべりの展開を、こう、絶賛した人がいる。
「はじめから途中までは笑わせて笑わせて、途中から泣かせて、最後は、みんながありがたがって手を合わせる」と。
毎日、クラスでそんな話ができたらと思って、ずっと教師をしてきた。教師を続ける限りそれが一つの目指す方向である。(一歩間違うと宗教家だね。)
「三年坂」を薦めてくれた大学生時代の彼女とは、その直後に別れて、それから26年間会ってはいない。彼女のひと言が一人の男の人生をこんなにも変えてしまったことには、彼女は想像できないことだろう。
そのあと、さだまさしの「あこがれ」という歌の詩を手紙にかいてくれた別の彼女いた。それに対して、私は、「笑顔同封」と返事した。
その昔の彼女は、今も我が家に住みついている。
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