日記ダイアリー2025-01

日記・随筆161 2025-01

何気ない日常、旅、そして映画。日々の思いを綴ってみました。

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161 2025年1月9日(木)謹賀新年、年賀状はもう次代遅れですか  

 皆さん,ちょっと遅いですが,明けましておめでとうございます。今年もボーッとしてるという点でご迷惑をおかけしますが,何卒見捨てることがありませんよう宜しくお願いいたします。
 
 さて,今年は年末のTVコマーシャルにもなり,ちょっと話題になった年賀状について,年の初めに意見を言います。
 毎月最終週の深夜にNHKが放映している歌手さだまさしの「今夜も生でさだまさし」(今夜も生でさだまさし - NHK)では,半死半生語のコーナーというのがあり,昭和の遺物でもう使われなくなったものなどを拾い上げ,ノスタルジーと世代間ギャップに気付かされています。(例 公衆電話,テープコーダー,レコード」)
 あと5年ぐらい経ると年賀状もその中へ入ってしまいそうな寂れ方です。
 
 下表(5年間に私が送ったり受け取った年賀状の総数の変化を示したものです)にあるように,私は6・7年前までは毎年250枚以上の年賀状を出していました。この数を「なんと多い」と思われる方は,私の職業が教師であった事を思い出していただきたい。生徒からの年賀状には必ず返す,お世話になった先輩・後輩には転勤後は必ず年賀状を送るというルールがこれだけの枚数につながりました。
 ところが,妻の「もったいない」の指令の下、令和4年と今年度令和7年度を迎える際に,表の説明にあるような第一次・第二次の年賀状削減作戦を実施しました。

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 理由は3つありました。
 一つは,せっかくこちらからいろいろな現状報告をしても,相手方からの年賀状には「元気ですか」などという情報としてはあまり面白みがないことが書かれてあるものには,残念ながら「絶縁」の処置をするのも止む得ないと判断しました。

 上は私達夫婦の今年度の年賀状です。
 只の年賀状と違って情報いっぱい型の年賀状です。但し作成にはあまり手間はかかりません。レイアウトやフォントは毎年同じだからです。自画自賛ですが,これぐらい書いてあると,近況報告兼「相変わらずだな・・・・」ぐらいにはなろうかと思われません?  

 二つには,私も情報交換の現代化に伴い,メール交換やラインをやっており,メールやラインでより濃密な情報交換ができる場合は,敢えて年賀状は必要ないと考えました。
 三つには,このところ毎年のように相手方から「年賀状は今年で最後」にしたいという,「終縁状」をもらうことが多くなったことです。理由はいろいろです。退職,引退,還暦,古希,終活を考えてなどなど。多くは薄縁の人でそういう理由で終わりが来てもしょうがないかなと思える方でした。
 しかし,中には複雑な思いになる相手も時々います。
 元同じ職場に勤務しその人物の結婚の際の仲人までしたのに「○○を期に」と言って今年で終わりと言われると,さすがに「そんな程度だったのか」と少々落ち込みです。
 また,何十年と年賀状交換だけは続けたという教え子の場合も,やはり少ししょげます。
 元々私は教員にも拘わらずその場の空気が読めない男として「有名」だったので,妻は「さもありなん」という感想です。

 かくて,年賀状は激減し,数年後には,「年賀状」は半死半生語になり,十数年後には全死埋葬語になってしまう・・かもしれません。
 しかし,TVのCMにもあったように,年賀状でしか付き合えない昔の友達,年賀状だけしか付き合えない先生もいるでしょうし,そして何より年賀状でも才能を発揮する,激レアな友人もいます。

 歴史の本流からは消えていく年賀状ですが,どこか支流で,ひょっとしたら三日月湖の中で,いつまでもしぶとく生きていくことを願っています。

 下の2枚の年賀状は左は昨年辰の年に,右は巳の年すなわち今年に届いた年賀状で,作者は同じ人です。作者は今年歳女,つまり72歳になりますから,「大蛇ンプはちょっとヘビ〜」かもしれませんが,中ジャンプはまだできるかもしれません。
 こんな年賀状を私は毎年もらっています。それだけでなんと幸福なことでしょうか。
 この年賀状の作者は,幼なじみのKさん。昔からの愛称でいえば,まぁちゃんです。頑張って。

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